テレビのバラエティ番組で、帰化した外国人タレント達が「中国には人権がない」と議論していた。外国人に参政権を与えず、子どもや障がい者の人権保護に批准しながら、肝心の法案も作れない国で、よそ様の国のことを語らせるのは帰化した外国人タレント達が一番望ましいのだろう。
友人の会社が配給した映画と聴き、「アンダンテ - 稲の旋律」を観に行く。
引きこもりと日本の食の問題を取り扱った映画は、少し俳優達のセリフが説明口調にはなっていたけど、「アンダンテ=歩くような速さで」というテーマをうまく捉えた映画になっていて、日本の農村の風景を観るだけで心安らいだ。
社会に適応出来ずに、自分の部屋に籠もる人たちを「引きこもり」と定義されているけど、学校にも、仕事にも行けずに、かといって遊びに出ることもしない人たちを「ニート」というと知り、「引きこもり」が「ニート」であって、学校にも、仕事にも行かずに、遊びには出ている親のすねをかじる人たちをも「ニート」と呼ぶ風潮は、社会の問題を個人の問題にすり替える世論操作なのだ知った上で、この映画を観ると、「引きこもり」「ニート」の辛さはよく描けていると思う。
食の問題も食物自給率40%で、穀物自給率30%のこの国の無責任な行政施策は、殊更騒いだ中国ギョーザだけではなく、脱脂粉乳から牛乳に何故学校給食が切り替わったのか知っていれば、輸入食材の危険性は誰もが知っていながら、誰もが安く身体に害を及ぼすものを毎日食べているのは百も承知の事であり、その被害をまともに受けたのが、体内にいた子供達で、食物アレルギーの問題はこの国の無責任な行政施策から起こっているのに、誰も怒らないという不思議さがこの国にはある。
映画は農薬を使わない農業に取り組む農家の息子と引きこもりの女の子の出逢いから物語は始まる。
「歩くような速さで」それは「歩くような速さ」を覚えていることであり、「歩くような速さで」呼吸することである。
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