その街を10歳にして、居づらくなった男がいる。その街を忘れられない女がいる。
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒。街が消え、人が変わった。
その15年後のその日の前日、男と女は出逢い、神戸の街をさまよい歩く。
PTSD(Post-traumatic stress disorder)、心的外傷後ストレス障害。阪神・淡路大震災で被災され、助かった方々の中で、今もなお、この障がいを抱えられている方は多いと聴く。
午前5時46分52秒に目が覚める人、轟音に脅える人など、など。
昨年、震災15年の日にNHKで放送された「その街のこども」も心の奥底にPTSDを抱える若者の物語。
テレビ版との違いは判らないけど、劇場版は登場人物はほとんど二人きりで、セリフとアドリブが入り交じり、日常の会話のディスカッションから、二人が抱える「災害障がい」が浮かび上がってくる。
映画を観ていて、「あぁ、関東大震災の時にもこういう人がいたんだろうな。」と思い、「あぁ、太平洋戦争の、例えば出征、例えば空襲、でもこういう人たちはいたんだろうなぁ」と思った。
それは自然災害だけじゃなく、例えばリストラショックでも何でもそうなんだろう。
阪神・淡路大震災は地元の生々しい体験からドラマ化は拒まれ続け、震災10年を過ぎて、やっと描けるようになったと聴く。
当時小学、中学のこどもたちは今、成人し、社会に出て生きている。
10歳にして、居づらくなった男はその街で居心地悪そうにしながらも、懐かしさを引きずり。忘れられない女はその街で懐かしさに押し潰されそうになる。
「災害障がい」を思う時、人のぬくもりの大切さを感じてしまう。
ひとりで産まれ、ひとりで死んでいく人生、生きるのもひとりではあまりにも寂しすぎるから。
0 件のコメント:
コメントを投稿