隣近所の地域社会コミニケーションが死語になり、個の時代になった今、滅多に体験出来ない行事のひとつに葬儀があるのだろう。
映画の中で松原惇子さんが「葬式を体験して一人前なんだと思う」と語るように、隣近所の葬儀の手伝いをする機会もなくゆえに葬儀の手順は何も知らない。だから葬儀の手順、葬儀にかかる費用を知ることが一人前なのだ。
知らないがゆえに遺族の思いよりもお寺の住職の方が主導権を得る。
戒名を巡るバトルも、「無宗教で俗名(生きている時の名前)で葬儀を挙げようとして、仏さんの供養にと読経をお寺さんに頼む矛盾がある」という個の時代だからという見方だって出来る。
兼業住職の戒名代の暴利や納骨の時の手順知らずを一概に商業仏教のせいだけには出来ない世間知らずの我々がいる。
葬儀方法を変えるべきなのか、葬儀にかかる費用、手順をきちんと知るべきなのか、それは私たちに課せられた課題だろう。
うちの父の時は田舎から親戚一同が押しかけてきて、自宅での葬儀を取り仕切ってくれ、格安で葬儀を終えることが出来た。
葬儀を熟知しているから出来る葬儀の方法の変更。これが今の私たちに欠けていることなんじゃないか。
孤立死なんかも個の時代だからなのかも知れないのと同じように、個々人がそれぞれ判らなく悩み、騙されやすい時代を作り出しているのかも知れない。
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