このところ、温暖化に関わるニュースが増え始めているけれども、その危機意識に関して、疑問を持たざるおえない語り口が気になりもする。
そのひとつとして、農林水産省が地球温暖化で農作物の収穫が減少する問題に関して、気温の上昇に耐えられるような新しい稲の品種の開発や、栽培方法の改善などを盛り込んだ対策を7月にまとめる方針を発表するというものがある。
この問題、北極海から南下する寒気が弱まる事で、夏の水不足を補う冬の降雪の減少からはじき出されたものと思われ、一番の問題である水不足の視点がまず抜け落ちており、単純に水不足になるかと云うと、亜熱帯地域が日本まで上昇してくるだろうから、日本の四季は雨季と乾季に変わるかも知れないし、台風の少数巨大化も強まるという見方もある。
また、食物はその気候環境でサボテンのように生態系を変え、生き延びられるけれども、人間は動物であり、常温20度台でなければ生きられないという当たり前の自然学がすっぽり抜け落ち、経済理論のみで語っていこうとしている。
別な話題として、東京湾岸の超高層化が進む中でのヒートアイランド対策という話題として、新丸ビルの環境に配慮した設計が紹介もされていたが、それは頭の中で考えた理屈であり、東京湾の涼しい風が皇居までスムースに通り抜けるかどうかははなはだ疑問だとも感じられる。
かつて、ロシアとサハリンの間にある間宮海峡を埋め立てると札幌に雪が降らなくなるという話題がのぼった事があるが、そうする事で海流の変化などが起き、何が起こるか見当がつかないという事を聴かされもした記憶がある身には、理論ずくめの都市開発は恐ろしいを通り越し、気色悪い気がする。
東京湾岸の超高層化も新丸ビルの風の抵抗を弱める働きがヒートアイランドを鎮めるのか、煽るのか、火災、台風などの災害時にビル風はどうなのかなどあまりにも計算不能の要件が多すぎるように思えてならない。
頻発する原子力発電所の問題があるのに、エコエネルギー研究よりも原子力エネルギー重視一辺倒の政策もあるだろうし、近海の地震で津波警報が発生しても、避難する人が少ないというニュースも記憶にあり、現代の日本人の自然に対する謙虚さのなさが逆に恐ろしくも感じられる。
ヨーロッパは毎年、熱波でひとり暮らしの老人世帯の孤独死が問題となり、温暖化無知のアメリカもカトリーナなどのハリケーン災害や『不都合な真実』のヒットを受け、生存の問題として、温暖化対策に取り組もうとしている。
また、途上国といわれる国々は自然の驚異を肌身に感じているために、自国文化保護が活発化しもしている。
高畑勲監督『柳川堀割物語』に描かれた堀割を利用した自然との共存の知恵は日本人が如何に自然をよく知り、活用していたかを描いた物だったし、北海道・襟裳岬における山の枯葉が川に落ち、海に流れる事でプランクトンが繁殖し、豊かな漁場を作り出す自然の理論の発見も日本が世界に発信した功績なのに、その誇りを忘れたところに今の日本の危うさを感じてしまう。
風光明媚な場所で北海道サミットはこの温暖化対策がメインの議題ともされている。温暖化が人類の生存問題であるという視点を忘れずに、北海道サミットに向け、日々の政策でも温暖化対策を取り組んで貰いたいものである。
- OhmyNews : 温暖化の危機意識が低い日本
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