だいぶ前、まちづくりセンターとなった町内会集会所にお邪魔した時、街の区画決めの話を伺った事がある。
それはその土地の地主さん同士で、どうしてもそりが合わなく、「あいつと同じ町内は嫌だ」という意見が街の区画を決めるそうで、道路でもない隣り合った住宅地で、隣の家は別な町内、別な住所となるというのはそういう理由だそうである。
平たく云えば「ロミオとジュリエット」が国の境の悲劇の始まり。
朝鮮、韓国では「ロミオとジュリエット」への愛着が強いといわれるのも判る気がする。
日本だって、東北、北海道をロシアの占領下にしようという動きもあったというのだから、今のような島国視点ではなく、大陸的な国境概念が日本にも生まれていたのかも知れない。
久々、新聞コラムで読み応えある物をふたつ見つけた。
それは1995年に日経連が出した「新時代の『日本的経営』」に関する「成果主義」と「格差」の考察と医療改革の反面、未だ変わらない不審死の死因究明の制度で解明されないまま葬られるCO中毒死や薬物中毒など外観で異常出にくい死因の話。
国ざかいの内と外、見過ごされているのは人の命であるのだろう。
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- OhmyNews : 国の境の始まり
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