心の奥底の憧れに鬼太鼓がある。
五穀豊穣を願い、悪霊を払う鬼達の太鼓。
ここでは豆を蒔くのは鬼達である。
中上健二、梅原猛の「君は縄文人か、弥生人か」で「鬼」は朝廷に反逆する者として語られ、「鬼」の文化が日本の古層文化であるという語りがあるのだけれども、アイヌの歌の魔よけ、佐渡の鬼太鼓、そして、山岳密教から念仏踊りを経て、生き続ける日本のダンス・ミュージック、江州音頭、河内音頭の音頭取り、沖縄のエイサーなど朝鮮半島から押し寄せてきた天皇家の「朝廷」から土地を守る「鬼」たちの祭りは各地に残っている。
後に鬼払いと読み替えられる「豆捲き」も正しくは悪霊払いの鬼達の「豆蒔き」なのだろう。
その鬼太鼓を世界に知らしめた「鬼太鼓座」、そこから派生した「鼓童」、そして、林英哲。
それらのビデオクリップをYouTubeで拾い集めてみた。
林英哲のビデオクリップは知恵遅れの姪子、奈緒ちゃんを記録し続ける伊勢真一監督が撮った「朋あり」
伊勢真一監督との対談で観客にお尻を向けるのは抵抗あったが、叩く太鼓の音が最も良く聞こえるのがあのポジションと語る林英哲。
朋有り遠方より来たる、亦楽しからずや
韓国のサムルノリ、アフリカ・ギニアの太鼓の名手たちと集うセッションは「私は戦いの烽火のために太鼓を演奏したことは一度もない、私は祝福のため人々のしあわせを祈って太鼓をたたいている」と誰もが母親の胎内で聴いた命の槌音を思い起こさせる響きを奏で、時空を越えた出逢いの旅へ誘う。
日本が何故、「和」の国なのか、少しは判るかも知れない。
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