2007-04-24

アリランの謎 Arirang

高橋竹山の「アリラン」を聴きたくて、「アリラン」の録音史を辿る企画盤『アリランの謎 』を購入し、聴いています。

アリラン、アリラン、アリランヨ
アリラン峠を越えていく
私を捨てていく愛しい人(ニム)は
十里も行かず、足が痛む

1896年に五線譜に採譜された民謡「アリラン」は有史以来、朝鮮、韓国の心の歌であり、採譜したハルバートの「朝鮮留記」でも「朝鮮人にとってアリランは米だ」という記載が残るように、歌を越えた存在だそうだ。

歌の中で歌われるアリラン峠は人が越えるべき、争いであり、試練であり、葛藤であり、未来でもある。

企画盤『アリランの謎 』は「アリラン」の歴史からいつ日本に伝わったのか、近代「アリラン」の始まりとなる無声映画『アリラン』の話から、日本統治下、戦乱の中、散在した映画フィルムは爆薬の材料に使われたと云われているが、戦後、その牛しなわれたフィルムを所有している豪語していた日本人と死後、莫大なフィルム巻の調査が続く文化庁、国立国会図書館フィルムセンターの作業でも見つからない「朝鮮の記録」など様々な謎が50数ページに及ぶブックレートにて多角的に語られている。

更には戦後、子守り奉公の娘たちの哀歌として親しまれた「五木の子守唄」のルーツ探しとしての「アリラン」との関わりも触れられている。

農耕や漁業の二拍子のリズムからなる日本の民謡にはない騎馬の三拍子のリズム「五木の子守唄」は子守り歌だからだけではない大陸文化の影響が色濃く残っている。

また、よく知られる歌詞で歌われる
「おどまかんじん かんじん かんじん袋さげて あんしゅ よか人 かたなさけ」
このかんじんは人々に仏道をすすめて、善にむかわせる「勧進」という解釈の他に、「韓人」ではないかという節もあるそうで、恨みを通り越し、諦めを歌う「五木の子守唄」の謎にまで繋がる見方もある。

おどんが打っ死(ち)んだちゅうて だいが泣いてくりゅうか
うらの松山蝉が鳴く
(遠く離れた所に子守奉公にきて私が死んでも だれも悲しまない
ただ蝉が鳴くだけでさびしい。)

五木の子守唄の代表的な子守唄の歌詞の意味もウェブページに挙げられている。

幼い頃、朝鮮人労働者に助けられた高橋竹山のかき鳴らす「アリラン」は津軽三味線の荒々しさに「アリラン」のメロディを織り込んだ物で、流浪を余儀なくされた日本の流民たちが「アリラン」を恋い慕い、歌った歴史が浮かび上がってくる。

戦前の日本の映画フィルムもその大半が戦火に焼かれ、今は観る事も叶わない。

あの世界の黒澤明のデビュー作『姿三四郎』も原盤は既になく、今観られる最長版は旧ソビエトから譲り受けたもの。

日本の庶民の近代史もまた「アリラン」だったように思えてくる。

韓国ではそれぞれの地域の「アリラン」が存在する。

キム・ギドク監督の映画『春夏秋冬そして春』の最後の山場で無形文化財キム・ヨンイムが歌う「ジョンソン・アリラン」もまた生き抜くための「アリラン」のひとつである。

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