昨日8月4日、札幌でもアブラゼミの鳴き声が観測されたというニュースが流れていた。
夏のこの時期に鳴くアブラゼミの鳴き声は、揚げ物をあげる油の音に似ているという事からアブラゼミと呼ぶらしいとニュースキャスターは話していたけれど、子供の頃に聞いた夏に終わった日本の戦争に絡めたアブラゼミの話が、僕の記憶にある。
アブラゼミは戦争当時、戦死した兵士、戦病死した志願兵、空爆で無差別になくなった民間人、その人たちの死にたくはなかったという鳴き声なんだよと、誰からともなく教えられた。
今、1940年代以前の日本映画の現存状況がどれだけあるか、当時のフィルムの大半を所蔵している東京国立近代美術館の所蔵映画フィルム検索で調べているところだけれども、1900年代はわずかに一本、1910年代は四本、1920年代は139本、1930年代は553本、戦渦の時代の1940年代は427本という数しか存在しない。
戦前は可燃性の高いフィルムであっただけに、保管が困難を極めたと聞くけれども、海外の同じ環境での現存状況に比べると、庶民の娯楽に対する国の無関心さが鮮明であるだろうし、保存数の多くなる1930年代、1940年代も10年間で400、500の数は一年で40、50本しか残っていないことになり、当時を知るというほどの資料は日本にはないといえるだろう。
当時の映画の散在は、黒澤明監督のデビュー作「姿三四郎」は検閲後の不完全なもののがロシアで発見されたし、長塚節の原作で内田吐夢監督の「土」は始めと終わりが欠落したものが同盟国だったドイツで発見されていたりする。
日本の占領下に置かれた韓国では当時の映画の大半が破棄されたとも聞く。
同盟国ドイツではこの時代の映画の現存率はかなり高く、フィルムの劣化が進む事を考慮して、デジタルリマスターによる高画質の保存も進んでいる。
日本に戦時下の庶民の娯楽の記録はほとんど残っていない。
横浜市で第2次大戦の歴史認識などを巡り、物議を醸した自由社版「つくる会」の教科書が採択されたという。
自虐と鳴く蝉は自虐を知らぬまま、鳴き続ける。
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