国内ではイタリア映画祭2009で上映されただけの、共同連名古屋大会で特別上映されたイタリア映画「やればできるさ」。
映画の社会背景を調べると、毎日新聞の2009年2月5日東京朝刊に詳しく書かれていたようだ。
イタリアは患者への拘束や暴行が横行していた精神医療を批判し、「狂気とは人間の1つの状態であり、まず社会が受け入れるべきだ」と精神病院の全廃を唱えた精神科医フランコ・バザリアらの提唱で、1978年に法施行され、犯罪者が入所する司法精神病院以外の一般の単科精神病院が次々と閉鎖され、遅れていた南部も含め、1998年末に全廃されたという。
モデルになったベネチアから列車で北東に1時間。ポルデノーネの共同作業所はその法が施行された3年後の1981年、精神科の知識など何もない中年男が施設に関わる事から始まり、「彼らに仕事などは無理だ」と医師や行政当局に相手にされなかった事業は今、「コープ・ノンチェロ」という名の大きな協同組合になっているという。
中年男にひとりひとり「さん」付けで名前を呼ばれ、感激する患者たちに「働けば金がもうかるぞ。君は何が得意だ。何ができる」と呼びかけると、それぞれおずおずと「僕にできるかな?」と応ずる患者たちの言葉がこの映画のタイトルとなっている。
押さえつけられた薬物治療の薬の量を減らしていく事で、寝てばかりいる生活から脱却し、自分たちで決めて仕事をする組合形式の元、能力を問わず、賃金を分け合う生活が始まる中、性欲や恋愛などナイーブな問題も浮き上がってくる。
障害は本人の身の上にあるのではなく、社会の通念や偏見がまずは障害なのであると、語られる社会モデルの解決の実践例を描いた映画であり、イタリアらしいコミカルな物語展開の中、疎外している社会の問題がネオ・リアズムのイタリア映画らしく描かれる。
「はっきりと線引きできる違いはない」とされる精神障害者の社会参加を疎外しているものは、「こうあるべきだ」を頑なに信じる社会通念であり、それが競争社会を加速させている。
人間は機械の部品じゃなく、機械の部品にするから精神的に参ってしまう。
「カッコーの巣の上で」から語られ始めた精神病者の人権は精神病院を組合に変えるという実験から精神病院の全廃へと流れている。
「日本は100年遅れてるんじゃないの」とも云われる社会環境のギャップは、増え続ける日本の精神疾患に象徴されているのかも知れない。
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