2009-10-21

リビング Living

子供叱るな、来た道だ
年寄りいびるな、行く道だ

重松清の2000年に発表された短編集「リビング」の文庫化の時につけられた吉田伸子さんの解説の冒頭紹介される文句は、重松清のおそらくこだわる事なんだろうと僕も思う。

短編集「リビング」を読んでいると、この時期の重松清は複数のお話を平行して描く手法へのこだわりが空回りしているようでもあるけれども、その観察眼はやはり面白い。

雑誌編集者とイラスト・デザイナー夫婦とそのお隣さんを描いた連作『となりの花園』春・夏・秋・冬の4作品と一話完結の8編の短篇は婦人雑誌の特集記事とリンクする形で書かれた物らしい。

生活の場で何が起きているのかは、冒頭紹介した文句を忘れた現代人たちの右往左往する様なのだろう。

妻と離婚話が持ち上がっている中流家庭の男、苦労を重ね、いつも息子である男の耳元で呪文のような言葉を唱えていた亡き母の想い出「ミナナミナナヤミ」や何の不満もないけれども、自分の存在意義を見いだせなくなり、夫や子供たちに内緒で自分の育った街にひとり旅する「一泊ふつつか」、親の離婚で苗字が代わり、苗字があだ名の男の子がそのあだ名とお別れを試みる「モッちん最後の一日」などなど、現代の大人たちのプア・リッチな「リビング」の情景が描かれている。

離婚に悩む妻が「ミナ、ナミナ、ナヤミ」と勝手に解釈し、解決させる亡き母の呪文のように、今の悩みはスパイラルするかのように深まっていっているのだろう。

かつて「みんな貧乏が悪いんや」といえたものが、物があふれ、一見豊かになったようで、心の中に一抹の寂しさ、不安がある。それは「みんな貧乏が悪いんや」であるはずなのに、それを認めたくないプア・リッチな人々。

「東京には空がない」といった「智恵子抄」の智恵子のように、物が溢れかえるのが社会と勘違いした社会は「リビング」の空間をなくしている。

そのひずみが子供叱り、年寄りいびっているとしたら、自分たちの将来がどんなものかが判る。

子供叱るな、来た道だ
年寄りいびるな、行く道だ

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