昔、歌謡曲の「昭和枯れすすき」の歌詞の「幸せなんて望まぬが、人並みでいたい」というところで、「人並み」って難しいよねという話を聴いたことがあった。
「人並み」であろうとして、人を踏みつけもする「人並み」は「幸せ」よりも難しいという話だった。
ブラジルのボサ・ノーヴァの創始者の一人で、歌う外交官として知られたヴィニシウス・ヂ・モライスの記録映画「Vinicius ヴィニシウス 愛とボサノヴァの日々」を観てきた。
つまらない寸劇やどうでもいい語り手の話など、疲れ気味の体調では眠気との闘いでもあったけれども、ヴィニシウス・ヂ・モライスの考え方がよく判った点では収穫だった。
その中で、ヴィニシウスが作った歌をアントニオ・カルロス・ジョビンがアメリカに紹介した際、元の歌詞は「生きられることを喜びたい。幸せであるよりも」というものをアメリカ人は「幸せに生きたい」と解釈したという話があり、アメリカの中流意識とは「幸せ」第一なのであり、ブラジル人の人生観とは異なるというような話があり、面白かった。
ヴィニシウス・ヂ・モライスは白人の中流家庭に生まれながら、黒人をよく知り、黒人のような白人と呼ばれ、酒と女と仲間を愛し続けた。婚姻歴は生涯9回におよび、一人でいるよりも仲間といることを最も望み続けた。
幸せであるより、生きることを愛したヴィニシウスはだから情熱的でもあったという。
ブラジルが軍事政権となった時、ヴィニシウスは左翼的ポリシー故に「アルコール依存症」を表向きの理由にブラジル外務省から馘首され、音楽に専念する。
その頃作った歌「オサーニャの歌」は軍事政権への皮肉を歌った歌なのだろうか?
与えよう、と歌う男が、何か与える試しはない。
本当に愛を知る男は、与えることを意識してはいないから。行くよ、と歌う男が、再び行く試しはない。
一度行ったら、もう飽きてしまうのだろうから。僕はこういう男なんだ、と歌う男が、その通りだった試しはない。
本当に誠実な人間は、僕は嘘つきなんだ、というはずだから。ここにいるよ、と歌う男が、本当にいてくれた試しはない。
いて欲しいときには、誰もいてくれないものだから。愚かな奴。
オサーニャの歌を歌うな、裏切り者!
哀れな奴。
まやかしの愛を信じる嘘つきども。行け、行け、行け、行ってしまえ。
私は行かない。
エンディングに流れる「祝福のサンバ」はヴィニシウスの人となりを最もよく示した歌で、フランス映画「男と女」で使われたことはよく知られている。
みんなが幸せになりたいと思っている。
私は笑うのが好きだし、他の人が楽しんでいるのをじゃまする気はない。
けれど悲しみのないサンバなんて酔えない酒と同じ、
私の好きなサンバじゃない。
歌が嫌いな人もいれば、流行だから聞くだけの人もいる。
金儲けの為に歌を利用する人もいる。
私は歌が好きだ。
だから世界を駆けめぐりその根っこを探しあてるんだ。
そうして今ここにやっとたどりついた。
サンバこそは最も深い歌だ。
これこそ歌だ。
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