知恵遅れの我が子が殺人事件の犯人として捕らえられ、我が子を救うために真犯人捜しを始める母。
「グエムル -漢江の怪物-」のポン・ジュノ監督がサスペンス・タッチで描き出すこの映画は知恵遅れの人の犯罪を取り上げながらも、我が子を守りたいとする盲目な母親の罪を描いている。
韓国の寒村を舞台としたこの話は、母親が知恵遅れの息子を背負い込まなければならない社会であり、チンピラまがいの男が息子を引き連れて遊び歩く社会であり、殺人事件が起きたら、ろくに調べもせずに知恵遅れの息子の遺留品があったというだけで殺人犯として検挙し、誘導尋問を行う社会である。
けれども、日本ならば市原悦子のような盲目な母親の罪を描く迫力は凄まじいものがあるけれども、物語は随所破綻をきたしてもいて、知恵遅れの人の犯罪の奥に潜む社会の閉鎖性、排他性が見えてこないのも確か。
「グエムル -漢江の怪物-」での環境汚染から始まるパニック映画のように、ただ社会問題を映画のたたき台にしたかのような気もするけど、現実、知恵遅れの人の犯罪は親との関わりが大きい分、映画のたたき台だけならば、それで済まして欲しくはないよなぁとも思う。
兵役後の復帰第1作となるウォンビンは演技派を志し始めたのだろうか、それとも地なのだろうか、「聖者の行進」のいしだ壱成と並ぶ名演ではあったけど。
母親の狂気を描くのならば、知恵遅れの人の犯罪でなくとも、お受験の子供を抱えた母でもいいわけだし、障害者の母ならば、この映画でも、幼い頃、農薬を飲ませ殺そうとしたという話が出てくるけれど、「母よ、殺すな」の母もいるわけで、我が子をペット化する親の狂気はいくらでも描きようがあると思うのだけどね。
そんな母を利用しようするチンピラまがいの男や弁護士、警察なんかもいい人ぽく描かれているから、嘘だろうと思ってしまうし。
「渡る世間は鬼」だから、盲目な母親の罪なのにね。
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