誰もが記憶するのに、誰もが確かな記憶を持たない日。
僕も周りから自分の産まれた日のことを聴かされるけど、それぞれの立場での記憶で語られるお話は矛盾に満ちている。
自分の子供にそこまで話すの?といわれる位、僕の出生にまつわる話をした母も仮死状態で生まれたという僕の産まれてすぐの応急処置を知るはずもない。
「意識を回復させるためにお湯と水に交互に入れた」「足首を掴んで振り回した」「鉗子を使い産まれたから、鉗子が首の後に食い込み、かぎ裂きになった傷を応急処置した」などなど
確かに首の後には縫い傷の痕が残っているけども。
外を見ると街は一面雪景色。僕が産まれた日もこんな雪景色だったんだろうか。
誰も自分の歴史の始まりの真実を知らない。
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