先月の木村充揮のライブから、カバーされた河島英五の曲を聴きあさっていて、「てんびんばかり」という曲を知った。
YouTubeで聴いたその曲の歌詞を検索しても、記さされていない箇所がある。
母親が赤ん坊を殺しても
「仕方のなかった時代」なんて悲しいね母親が赤ん坊を殺したら
「気違い」と呼ばれる今は平和な時誤魔化さないで そんな言葉では
僕は満足出来ないのです
てんびんばかりは重たい方に傾くに
決まっているじゃないか
どちらももう一方より重たいくせに どちらへも傾かないなんておかしいよ
この歌詞、障がい者の解放運動が起こったとされる横浜の我が子を殺し、世論が擁護した障がい児殺し事件の事を歌っているような気がする。
この曲は世論の矛盾をたたみかけるように歌う歌であり、今日でも話題となっているこんな詞も歌われている。
何人もの人を殺した男がいる
掛替えのない命を奪ってしまった
次はこの男が殺される番だ
掛替えのない命を奪ってしまう男が殺される 男が殺される 誰も何も言わない
男が殺される 男が殺される みんながそれに
賛成したのです誤魔化さないで そんな言葉では
僕は満足出来ないのです
てんびんばかりは重たい方に傾くに
決まっているじゃないか
どちらももう一方より重たいくせに どちらへも傾かないなんておかしいよ
この頃、聴きあさっている関西フォークの名曲たちの流れを組むこの歌は弱い者、殺される者の立場から歌われた歌であり、弱い者は更に弱い者を殺すという事を歌っている。
この歌手達のアイデンティティが、尾崎豊や今話題の「龍馬伝」の福山雅治にまで行くんだろうね。
「みんなが笑って暮らせる社会」を望んだ坂本龍馬が、下級武士の分際で出しゃばるなと殺された日本の中で。
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