2010-11-15

子どもを忘れた子供達 Children who forget child

サム・クックのKeen録音CD4枚組が990円という格安で売っており、久々サム・クックを堪能している。

サム・クックの歌声はどこまでも伸びやかで、すがすがしいけど、映画「マルコムX」にも使われた代表曲「A Change Is Gonna Come」は「転機は訪れる」と歌いながらも、「この辺をうろつくな」と俺に言い続ける連中を歌う。

ゆとり教育」の功罪を問う明大学生の調査がネットでニュースとして流れていて、先に読んだ重松清の「教育とはなんだ」を思い返し、日本の教育の問題とは短絡的にその時点の教育の問題しかみない事なのになぁと思ってしまう。

「ゆとり教育」の始まりの頃の子供達は今すでに30代になり始めているし、よく云われた「若者の活字離れ」は今やその若者も40代になっているという。

いわれた当人達はおじさん、おばさんになっているのに、「ゆとり教育」「活字離れ」はいつまでも子供達の問題であるようで、僕らの世代にいわれた「しらけている」も多分今でも「若者たちの問題」として語り継がれているじゃないか。

「ゆとり教育」の時代に限らず、日本の教育は流行に流されたようで、高度成長期に理系が就職需要あるとなれば、学科に理数系が取り込まれ、就職需要が低迷し始めたバブル期に「ゆとり教育」に便乗して、理数系の教科単位は減らされたという。

それは英語にしろ、国語にしろ、同じような変遷を辿っているらしく、オールマイティに各教科を学んだ生徒などどの時代にも存在はしなかったらしい。

「ゆとり教育」における理数系を教えられなかった事は、論理的に考える数学的教養が弱くなり、暗記科目ばかりだから体験主義、実在主義がすべてと思う傾向が強くなるらしく、個々人の価値形成が弱く、流される傾向が強いらしい。

明大学生のアンケート調査という思考もおそらくこの「ゆとり教育」体験者だからだろう。

「この辺をうろつくな」と俺に言い続ける連中たちであるプア・ホワイトと何も変わらない体験主義、実在主義の若者たちに転機は訪れるのだろうか?

子どもが、子どもが」と言い続ける大きな身体になった子供達の「生涯学習」を「ゆとり教育」は目指したというけれど、老若男女のイス取りゲームの時代に、「ゆとり教育」だけに罪咎めてもしかないと思うのだけど。

子どもを忘れた子供達の責任逃れに「ゆとり教育」が叩かれている。

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