「命」に関するニュースが立て続けに流れた。
『「自殺率」20%減、政府が目標案』と『「ネットカフェ難民」初の実態調査』
「自殺率」に関しては保険業界は「自殺率」で成り立っているという話もあり、人が死ぬ事で経済が成り立つ見本みたいな物という話も聴きもする。
ただ、「国家」としては「自殺率」は不名誉な事で「自殺率」が高いと「国家」価値が下がるという投資理論もあり、アメリカなどが宗教の集団自殺を嫌がるのはそのためらしい。
「命」のニュースでもうひとつ。『法務省、3人の死刑執行を発表』。
長勢法務大臣のもとで行われたこの「死刑の執行」という国家儀式も死刑囚の自殺は許されないらしく、「国家」が人を裁き、殺さなければ意味はないらしい。
大島渚の『絞死刑』はそんな死刑囚が死に損なった死刑執行のやり直しのお話。
自爆テロの如く、「俺は、君のためにこそ死ににいく」といって、死にに行く特攻隊の美学を持つこの国の死生観はやっぱりどっかおかしく、「自殺」に関する施策提言は今更のようにも思われる。
『ラスト・サムライ』が日本の「死に様」を批判したように、世界の「死」の価値観はひとつなのに対して、日本は「いい死に方」と「悪い死に方」があるようだ。
だから、リストラされ自殺した人の子供が「リストラ孤児」「自殺孤児」として、就職でも疎外され、ニート、フリーターになるケースもあるという。
日本の因習を切り込まない限り、「自殺率」は変わらないと思うし、「ネットカフェ難民」を生み出した社会環境こそが「自殺率」の証のように思えてくる。
- OhmyNews : 命のお値段