1980年に戦火を免れた戦前の日活の映画フィルムが倉庫から大量に発見されたかなにかで、当時、参加していた札幌映画サークルにも上映会の企画の話が持ち込まれ、「噫(ああ)懐かしの活動大写真」と銘打って戦前の日活映画の黄金期の作品を12本上映した。
あいにく、手元にその時の資料がなく、明確な上映作品名はうろ覚えだけど、戦争が始まると満州の満映に行った内田吐夢のプロレタリア映画『土』の断片や、伊丹十三の父で、戦時中、ナチスドイツと提携した映画『新しい土』を撮り、戦後、病床の中、映画人の戦争責任を問いかけ続けた伊丹万作の監督作品『赤西蠣太』、その才能が期待されながらも、赤紙招集で帰らぬ人となった山中貞雄の粋な時代劇『丹下左膳余話百万両の壺』と『河内山宗俊』、戦争勃発間際とは思えない痛快な歌謡時代劇『鴛鴦(おしどり)歌合戦』などなど、今見ても新鮮な映画群の数々にお目にかかる事が出来た。
その時、これもまた日本のプロレタリア時代劇の先駆者として知られる伊藤大輔監督の唯一ほぼ完全な形で見られる無声映画『御誂次郎吉格子』の上映も検討され、どうせ上映するならば、当時の様子を再現したい、配給会社に元活動写真の弁士をやっていた人がいた、その人に頼んでみてはどうだろう、と話が進み、無声映画『御誂次郎吉格子』の再現上映が行われる事となった。
元弁士の方もすでに社会人としての現役を退いて、のんびりと過ごされていた中、この企画に快く参加下さり、にっかつ映画より弁士のリハーサルのために数ヶ月前からフィルムを特別に貸し出しして頂き、それぞれの仕事後、毎夜、フィルムを回し、音楽選曲から、弁士用の台本作り、音合わせと顔合わせは続けられた。
参加した僕もすっかり映画のシーンすべてが頭に入った状態になりつつも、活動写真の弁士をされていた方との酒の席での映画青春期の話に心躍らせ、当日を迎えた。
過酷な戦争が始まる以前、人々が集まり集い、拍手喝采した映画、まだまだ庶民の中には画面に映る字幕も読みこなせる数も少なかった時代、弁士は代わりに読み聞かせ、情景を過不足なく伝える第三の芸術だった。
昨年、ケーブルテレビで放映された『御誂次郎吉格子』をビデオに撮り、観たところ、毎夜集まり、練習したうちらの上映の音の記録である事に感激、当時の想い出が蘇った。
これをなんとか残し、広めたい。映画自体は70年以上も前で確実にパブリック・ドメインであるはずで、著作と引っかかりそうな日活のオープニングのロゴを外し、ここ数日、フリーの映像編集ソフトを駆使して、YouTubeに6分割でアップしてみた。
近代日本の黎明期、反骨精神で作られた映画と出逢った我が青春の時。その記録を世界に発信出来る今の便利を十二分に活用したい。
- OhmyNews : 噫(ああ) 懐かしの活動大写真
- 伊藤大輔
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