2007-09-24

余命告知 Days of the remainder of the life are taught.

先日、とある医師の新聞コラムで、数日でも難しいのに、数ヶ月単位での余命告知など科学的には不可能な事という記事が載っていた。

そして、医療現場で行われている多くの余命告知は経験値から算出される物で、患者や家族の気持ちの区切りから望まれる物なのではないかというような事が書かれていた。

日本の医療の問題点が書かれた近藤誠医師の『成人病の真実』(文藝春秋)も似たような話が書かれており、高血圧やコレステロール対策に気配りする「余病検診」や良性のポリープでも不安という心理からなされる切除手術、世界的に見ても異様な薬依存が強い日本など、「健康」のためならいくらでもお金を費やす日本人の不思議な体質が、その根底にあるように思えてくる。

血圧などは日本人の平均値などは欧米の牧畜民族とは違い、農耕民族であるために、塩分を多く取る生活をしていたために高い数値になるわけだし、例え、平均からみて、高い値を示していたとしても、その人の平常時の血圧値から比較しない事には高血圧なのかどうかも判らなく、コレステロールなどもそれ単独で判断下すには危険である事は昨今よく知られている事象でもある。

医師に対する過度の信用がはっきり断言できるはずもない余命告知を云わせている事の裏返しとして、根拠のないポリープ切除や薬漬け治療など医学界を白い巨塔にさせたのであろうし、「余病検診」さえ歳を取れば、誰だって悪いところが出てくるのが当たり前なのに、それを「病気」にしてしまう「健康病」が問題であると近藤誠医師は指摘もしている。

欧米では患者の判断を重んじるインフォームド・コンセントが注目されているけれども、自分の健康、医者任せの日本に果たして「正しい情報を得た上での合意」が成り立つのかははなはだ疑問でもある。

余命告知も勤労奉仕に差し障らないよう気配る「美徳」のような気もしてきますし。

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