殺された被害者を想い、極刑を求める被害者遺族。
後を絶たない殺人事件の死刑判決を聴く度に「死」は極刑なんだろうか?と想う。
仏教では此岸と彼岸の教えがある。
この世の罪をあの世に送るのは亡くなった者たちを顧みぬ行為。
ゴミ捨て感覚で「死刑」があるなら、亡くなる事も「裁き」になってしまう。
此岸と彼岸の橋渡しである地獄修行はその人の生きてきた生涯を再体験させる「この世の地獄」を思い知る修行。
「この世の地獄」は間引きでは何も解決しないのに、「極刑」を持って解決とさせてしまう。
「一つの殺人は悪漢を生み、100万の殺人は英雄を生む」
チャールズ・チャップリン『殺人狂時代』(1947年作品)は「極刑」の無責任さを批判し、映画の中で、処刑される殺人鬼に「あの世で待ってますよ」と語らせる。
この世も地獄なら、あの世も地獄。
そんな世界を望むのがこの世の社会なのかも知れない。
『死刑執行人もまた死す』
忘れてはならぬ事。
- OhmyNews : 此岸と彼岸
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