2007-09-05

人の能力 Human abilities

日本が始めて作った国際規格として、高齢者・障碍者に配慮した国際指針「ガイド71」がJIS化されたのは平成15年3月19日。

世界でも少子高齢化が最も顕著であり、福祉の管理を政権基盤に影響されないように、NPO、NGOに委任する欧米とは違い、国が直接管理する日本だから実情を鑑みて、提案できる指針としてISO/IECにて採用された物で、個別のガイドラインの基準となるものでもある。

その「ガイド71」では高齢者・障碍者の不便さを「障碍」とは云わずに「人の能力」と云う視点から「感覚」「身体」「認知」「アレルギー」として区分し、それぞれ出来ない事、出来る度合いがあるのが人間としている。(『ISO/IECガイド71』に示された7つの分野の考慮事項(マトリックス))

今までの「健常」という視点がある意味、機械的生産的であったのだろうし、多様な価値基準として「人の能力」が採用されたのだろう。

同じく「知的障碍」と単に一括りにされていた障碍も、パラリンピックではここからが「知的障碍」と断言できないとして、競技種目がなくなったりしている。

機械的生産的な社会から「人の能力」を思いやる社会への提案ではあったのだけれど、「ガイド71」提案国でもまだまだ「障碍」に固執して、「人の能力」を考慮するだけの厚生労働の政策は出されておらず、いつの間にか今までの「機械的生産的」な社会に「人の能力」を組み込み、「合理化」を考えているような厳しさを求める風潮もこの頃見られる。

ラテンアメリカ文学諸氏の短篇集『美しい水死人』に、アルフォンソ・レイエス「アランダ司令官の手」という小品があるのだけれど、そこで「利き手」について、こんな考察がなされている。

「手が二本とも利き手だったら人間は巧妙な策略や器用さに溺れてすでに滅びていたかも知れない。」

「人の能力」を世界に提案した国は自身の提案を理解することなく、温暖化促進を行うのかも知れない。

短篇集『美しい水死人』後書きにはこう記されている。

「肉体に意味はなく、魂に意味がある。しかし、その魂も死と共に失せるものであり、超自然は生き霊のなせる技」

  • OhmyNews : 「人の能力」を提案した日本

0 件のコメント: