2008-07-21

やがて自分の飲む毒とも知らずに Before long without knowing the poison that I drink

先日亡くなられた職場の同僚は、末期ガンを無理して、出勤されていたという話を聴かされ、その最後の出社の日は壮絶の極みだったらしい。

20代から30数年勤め上げ、今年の暮れは晴れて、雇用止めで退職されようとしていたその方の話を聴くと、「後半年」という気持ちだけで出勤されていたのだろうと思う。

亡くなられて、職場の同僚たちの思いは様々。

「みんなに迷惑かけて、あぁなるまで出てくる事はない」そんな話も耳にした。

その方も雇用止め間近の年配の方。

この前例で、雇用止め間近に対する健康診断が厳しくなる事を恐れてなのか、自分は健康体であり続けるという過信からなのかは知らないけれど、人間はいつかは老い、病み、人の手を借りる。その事を隠蔽しようとするのは、雇用側ではなく、老い、病み、人の手を借りる事に気兼ねを感じる働き手。

人間である事を叫ばずに、我が身の働ける場を確保しようとするその行為は、やがては自分の飲む毒をまく。

どんな思いで、亡くなられた方が、身体に無理を押して通われてきてたか、一番よく知る者たちが、亡くなられた方を切り捨てる。

一番貧しい労働者がスト破りをせざる終えなくなる環境は、豊かなはずの現代もなお、続いている。

人はいつになれば、人になれるのだろう。

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