昨日の職場で開かれたバザーの時に見に来て下さった友だちと二人で、働き始めてからずっと気になっていたご近所の琴似屯田兵村兵屋跡を観に行ってみた。
小さな平屋の家の中に入ると開拓当時の二間の間取りが玄関口から見られ、手前の茶の間と思われる部屋には囲炉裏があった。
それは僕は産まれた北見・留辺蘂の本家の間取りと驚くほど似ており、北海道へ開拓を志した人たちの旅立ってきた故郷への郷愁と新たな生活地に根付く「家」の形だったのだろう。
産まれた本家は祖父が四国・徳島の人だっただけに、裏手に上がりかまちがつけられ、裏庭を見渡せられるようになっていた。
琴似屯田兵村兵屋跡も裏戸を出ると小さな畑に菜園があり、トウモロコシ他植えられていた。
何もない北の大地で厳しい自然と共に生きた人たち、その人たちの暮らした「家」で生まれた事を有り難く思えてきた。
奥の間の神棚の下、体内でへその緒が絡まり、母子共に危険な状態の中、なんとか生まれ出たけれど、仮死状態だったという自分。
今の豊かさはそこから始まる自分史があるから。そんな事を思い返す琴似屯田兵村兵屋跡であった。
またじっくり仕事帰りによってみたい。
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