2009-07-22

お祖父ちゃんとお母さん Grandfather and mother

子供が生まれた女性は父親を「お祖父ちゃん」と呼び、母親と「お母さん」と呼び、相談事は母親に話し、決定事項を父親に話す。重松清の「定年ゴジラ」の中で描かれる定年過ぎの親父たちの仕事から解放された哀歓はすんなりと受け入れられる。

居場所がないようで、老け込むと「しっかりしてよ」といわれる親父たちは娘らからすればいくつになっても働く父のイメージなのだろう。

息子となるとまた違ってきて、人生の先輩でありながら、自分の将来を重ね合わせたくはない存在で、同性であるが故に疎ましい存在でもある。

僕も父に対し、そんな感情を持ち続けていた。父と距離を取ろうとしていた。定年となり、人に使われる苦渋から解放された父は、その夜、ひとり飲めばすぐに真っ赤になるビールを飲み、自分をねぎらっていたけれども、僕は素っ気なく、そんな父と接していた。

定年後の手持ちぶさたの時期もねぎらう事もなく、父の急死とともに父がいなくなった寂しさを感じはしたけれど、父の寂しさにまでは思いが至らなかった。

「歳を取れば、あんたにも判る」とバスジャックする年寄りたちを描いた山田太一脚本の「男たちの旅路 シルバーシート」を思い出す。

そして、そんな日本の親父たちの一員に僕もなるのだろうと思ったりする。

「すべてを許してくれ、迎え入れてくれるお母さんがいるところが故郷。」小説の中で語られるこのセリフは親父たちもまた、自分を認めてくれるお母さんを心の故郷として生きている。

厳しさじゃなく、生きてるうちに優しさを。

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