週末、札幌の夏を告げる中心街の祭りが繰り広げられ、市内各地から神輿担ぎに集まった人たちが、例年通り、更衣室が設けられたうちの職場に出入りし、賑わいを増していた。
毎年、神輿担ぎに参加する知り合いの方とも、今年も出逢い、立ち話で、先日亡くなった友人の話となり、「まずはお互い、身体に気をつけよう」と別れた。
身近な人が亡くなるたびに、語られるのは自分の身体の大切さが普通の感覚と思うけど、鳩山邦夫・前総務相はさすがは「死に神研究家」らしく、「自殺というのは、DNAが働いているのではないかと言われている」と述べたらしい。
1948年生まれの60歳ともなると身近な方達の「死」を沢山見過ぎるのか、「死」についてその因果関係を軽々しく語れるほどになれるのだろう。
僕も若い頃には身近な友だちで自殺した人たちが何人かいるけれども、その身内に「DNAが働いている」などとは云えないのは、まだまだ人の死を見てきていなく、修行が足りないのかなと思ったりしちゃう。
中川昭一氏のお父様であり、中川義雄氏のお兄様である中川一郎氏も自殺した方として知られた方だけど、そのご親族にも教えてあげるとよいと思う。
鳩山さんの家系は自殺者はいないみたいだけれど、総理経験者のお祖父様である鳩山一郎氏は脳出血で倒れられた事もあり、遺伝云々で云うならば、ご自身の脳出血を気をつけられた方がいいと思う。
人の死因に関して、日本という国はかなりいい加減な国だそうで、法医学の不備を指摘されて久しく、変死鑑定なども余程の事がなければ行われないのが実態と聴きもする。
「死に神研究家」ならば、その辺の事情の改善を追求すべきで、そうする事で、死亡保険金の不正受給や誰にも知られぬ怨恨による殺人事件の犯人検挙にも役立つだろうに。
「自殺というのは、DNAが働いているのではないかと言われている」というのならば、親身になり、悩みを聴く周りの環境が不誠実だからであるからだろうに。ねぇ、亡き中川一郎様。
お父上、鳩山威一郎氏が行ったとされる戦後最悪の狂乱物価を招いた超インフレ予算などではその影響を被った方がどれほどいたかは今となっては判らず仕舞いだろうけれども。
「まずはお互い、身体に気をつけよう」凡人たちの会話の方が人間味あふれ、ほっとすると思う、そんな年頃。
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