『ウェディング・ベルを鳴らせ!』のエミール・クストリッツァ監督が『それでも生きる子供たちへ』の中で作った短篇「ブルー・ジプシー」。
少年院を無事に出所出来た子供が世間の荒波に巻き込まれ、少年院に戻り、監視、管理されている幸福を味わう話は、初め観た時はよく意味が判らなかったけれど、思い返すほどにその意味が強烈なメッセージとして蘇る。
暮らしやすい社会を求めるほどに個人の個性は押し潰され、何か指示されなければ何も出来ない人間しか作らないとは、監視、管理する方もまた同じで、監視、管理が何故いけないかも判らなくなる。
月が変わり、身の回りでも様々な制度上の改変がある。
細かく分別しなければならないほどの多様なゴミの種類を生み出し、その分別が守られていないからのゴミ有料化。加入しているケーブルテレビでのデジタル、ハイビジョンへの放送形式の移行により、画面サイズがワイド画面に無理矢理に変更になるため、画質的にハイビジョン対応になっていないDVDレコーダーでの録画では無駄に黒い部分が多くなるというリスクなど、社会の変化に順応しなければならない自分がいる。
縛られる事を良しとするかどうかは、昔、寺山修司が「奴婢訓」という演劇でご主人がいない屋敷の奴隷たちが、互いにご主人様の役となり、奴隷ごっこに興じて、奴隷となる者は初めはあらがいつつもそのうち、「もっと打って!」とあえぎ始める話があり、不自由が自由であると思い違いをしているのが、現代なのだろう。
大人はまだ縛られるという実感があるけれども、それが生まれながらならば、縛られる事が当たり前と思って当然。
そんな事を思っている時、シュールリアリズムのルイス・ブニュエル監督の「自由くたばれ!」を高らかに描いた晩年作品群が低価格DVDで再販される。
それでも生きる自由を知らない若者たちへ。モラルがゴールじゃないんだよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿