2009-07-17

それでも恋するバルセロナ Vicky Cristina Barcelona

午前中はパソコンのネット接続トラブルの対応に追われた。まずはセキュリティソフトで何かしかのエラーがないか、エラー表示をポップアップさせ、その表示されたエラーを元にネット検索、どうやらコレガのルーターか犯人であると突き止め、対処策を調べているところへ問い合わせていたプロバイダーからサポートの電話が掛かって来る。ルーターを外し、光ファイバーのモデムとパソコンを直で繋いでみて、ネットにアクセス出来るか試すようアドバイスを受け、試してみる。きちんと繋がり、問題はルーターであると判り、コレガのルーターのサポートに問い合わせてみて下さいというプロバイダーのアドバイス通りにコレガに問い合わせメールを送り、まずは外出する。

映画を観ようか、どうしようか迷いもあったし、ルータの問題が解決しない時に備えて、ルータの価格を調べるために、大型家電店の建ち並ぶJR札幌駅にまずは行ってみる。ルータの価格はピン切りで、「安物買いの銭失い」になるのも嫌なので、衝動買いは控え、パソコンの周辺機器に詳しい職場の後輩に聴いてから買う事にし、ざっとパソコンコーナーを見て回る。

時計を見ると、札幌駅のところにあるシネマブティックでやっているウディ・アレンの「それでも恋するバルセロナ」に間に合いそうなので、急ぎ、シネマブティックへ。

ウディ・アレンの映画を劇場で観るなんて、何十年ぶりだろうと思いつつ、始まった映画はあぁ、ウディ・アレンだなぁと思ってしまった。

少しうざったくも感じるナレーションによる物語の進行とスペイン、バルセロナという舞台を巧みに使ったスペイン男とアメリカ女二人の恋のさや当てゲーム。

物語はスペイン男の元妻が出てくるあたりから、英語とスペイン語が乱れ飛び交い初め、往年の名作「アニーホール」のグローバルバージョンと思ってしまう。日本語字幕を読む上ではさして気にならない三つどもえの会話も、スペイン語を知らないアメリカ人が観たならば、おそらく混乱するのじゃないかと思えるほどの会話のやりとり。

恋のさや当てを描きつつ、グローバルとはこんなものでしょうと云わんばかりのウディ・アレンの演出はまだまだ若々しい。

恋の深みにはまるのが怖い女性と深みにはまり自分を見失うのが怖い女性の結末は思い通りにはならないグローバリゼーションに翻弄されるアメリカのようで、これまたウディ・アレンらしいシニカルさ。

男の描き方がつまらないという指摘も頷けるけれども、アントニ・ガウディの作品群とジョアン・ミロの絵画や彫刻を観光気分で見ているだけのアメリカ・エリートへの風刺がメインとここでは評価しておきたい。

ウディ・アレンの予定調和な合理主義に対する風刺もスペイン人の映画監督たちから云わせれば、予定調和的な展開ではあるだろうけれども。

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