ここ10年の間に、母親、兄貴をガンで亡くした従弟が本人もガンになり、毎月定期検診を受けに札幌に来ては、我が家を寝泊まりの場としていた。
先月来た時、いつになく僕が帰宅すると「お帰り」と明るく声をかけてくれた従弟は、ひび割れかけたトイレの便座を壊してしまい、茶目っ気たっぷりに「壊れた」と母に告げたという。
胸には大きな手術で切り開かれた傷のある従弟が帰った後、帰宅した僕にその事を母は告げたけど、責めるのも酷と思い、何も言わず、トイレの便座を買い換えた。
毎月定期にやってくるその従弟が今月はまだ来なく、どうしたのかなと思っていたところ、母に電話があり、従弟のガンは脳にまで転移し、入院したと知らされた。
目を開ける事も出来ず、手を握っても握り返す力もない、ただ若さだけで、生命力がある。すぐではないけれども、長くはない。従弟はけれど生きている。
母親、兄貴と同じ最期を待つ従弟の傍で、妻、長男、そして次男と看取る役目になってしまった伯父がいる。そして、ただその状況を電話で聴くしかない母がいる。
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