2009-10-30

ヴィヨンの妻 Villon's Wife

さらりと描くのを得意としている根岸吉太郎監督とねっとりとした脚本を書く田中陽造のミスマッチのような気がする「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」を観た。

太宰治の原作の泥臭さや敗戦後の日本の猥雑さが描かれてはいるんだけれども、物語の筋をただなぞっただけのようなそんな映画だった。

描かれている風情や物語の内容からはカナダ・モントリオール世界映画祭で監督賞を受賞するという栄誉を受けたのは判らなくもないけど、敗戦後の日本の貧困の描かれ方は「ALWAYS 三丁目の夕日」と同じような違和感を感じてしまう。

役者たちが60年前の日本人を演じられなくなっているのかも知れないし、60年前の日本人と今の日本人の違いを意識しすぎた演出のせいかもしれないけれど、60年前の日本を両親や親戚などから聴かされて育った人間としては何かが違うと思ってしまう。

それは何かなと思いながら見ていると、芝居させている松たか子や広末涼子、浅野忠信、妻夫木聡、堤真一、それぞれ今の日本人のままのしゃべり方で、演じさせればいいのじゃないかとふと思う。

「かったりぃ」でも「マジ、むかつく」でも案外「ヴィヨンの妻」の原作には馴染みそうで、一緒に暮らしながらもお互い信じたくて、それでいて信じられない、そんな夫婦の物語は例え抑えた演出であっても時代がかったものになってしまった映画よりもリアリティがあるんじゃないだろうか。

「女には、幸福も不幸も無いものです」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」

太宰治の魅力って、死にたがっているくせに、生きている事に意味があると書く矛盾であるのだし、それは今の日本人の幸福ごっこと同じだと思うのよね。

2009-10-28

ヴィニシウス Vinicius

昔、歌謡曲の「昭和枯れすすき」の歌詞の「幸せなんて望まぬが、人並みでいたい」というところで、「人並み」って難しいよねという話を聴いたことがあった。

「人並み」であろうとして、人を踏みつけもする「人並み」は「幸せ」よりも難しいという話だった。

ブラジルのボサ・ノーヴァの創始者の一人で、歌う外交官として知られたヴィニシウス・ヂ・モライスの記録映画「Vinicius ヴィニシウス 愛とボサノヴァの日々」を観てきた。

つまらない寸劇やどうでもいい語り手の話など、疲れ気味の体調では眠気との闘いでもあったけれども、ヴィニシウス・ヂ・モライスの考え方がよく判った点では収穫だった。

その中で、ヴィニシウスが作った歌をアントニオ・カルロス・ジョビンがアメリカに紹介した際、元の歌詞は「生きられることを喜びたい。幸せであるよりも」というものをアメリカ人は「幸せに生きたい」と解釈したという話があり、アメリカの中流意識とは「幸せ」第一なのであり、ブラジル人の人生観とは異なるというような話があり、面白かった。

ヴィニシウス・ヂ・モライスは白人の中流家庭に生まれながら、黒人をよく知り、黒人のような白人と呼ばれ、酒と女と仲間を愛し続けた。婚姻歴は生涯9回におよび、一人でいるよりも仲間といることを最も望み続けた。

幸せであるより、生きることを愛したヴィニシウスはだから情熱的でもあったという。

ブラジルが軍事政権となった時、ヴィニシウスは左翼的ポリシー故に「アルコール依存症」を表向きの理由にブラジル外務省から馘首され、音楽に専念する。

その頃作った歌「オサーニャの歌」は軍事政権への皮肉を歌った歌なのだろうか?

与えよう、と歌う男が、何か与える試しはない。
本当に愛を知る男は、与えることを意識してはいないから。

行くよ、と歌う男が、再び行く試しはない。
一度行ったら、もう飽きてしまうのだろうから。

僕はこういう男なんだ、と歌う男が、その通りだった試しはない。
本当に誠実な人間は、僕は嘘つきなんだ、というはずだから。

ここにいるよ、と歌う男が、本当にいてくれた試しはない。
いて欲しいときには、誰もいてくれないものだから。

愚かな奴。
オサーニャの歌を歌うな、裏切り者!
哀れな奴。
まやかしの愛を信じる嘘つきども。

行け、行け、行け、行ってしまえ。
私は行かない。

エンディングに流れる「祝福のサンバ」はヴィニシウスの人となりを最もよく示した歌で、フランス映画「男と女」で使われたことはよく知られている。

みんなが幸せになりたいと思っている。
私は笑うのが好きだし、他の人が楽しんでいるのをじゃまする気はない。
けれど悲しみのないサンバなんて酔えない酒と同じ、
私の好きなサンバじゃない。
歌が嫌いな人もいれば、流行だから聞くだけの人もいる。
金儲けの為に歌を利用する人もいる。
私は歌が好きだ。
だから世界を駆けめぐりその根っこを探しあてるんだ。
そうして今ここにやっとたどりついた。
サンバこそは最も深い歌だ。
これこそ歌だ。

2009-10-27

ベビーブーマー baby boomer

団塊の世代といわれる戦後間もない時期に生まれた方達は、世界的に起こった出征兵士の帰還によるベビーブームによって生まれた方達で、団塊の世代を多く抱える週末の職場でも、ベビーブームの最終年である1950年生まれの方達が来年、還暦を迎えられる。

人数にして、うちの職場の親睦会の1割にあたる。

統計上ではその前年である1949年が最多数だそうで、その数は近年の出生数の約2.5倍にもなるらしい。

うちの職場では還暦で一度定年となり、再度65歳まで雇用延長枠として待遇が少し落ちての雇用継続になるのだけれども、新規採用も10年ほど前から止まっている現状、今では団塊の世代が親睦会の半数を占めるほどの数になっている。

つまりは6年後の来年還暦を迎える方達がいなくなる頃には親睦会もその存亡を問われるほどに人数がいなくなるということで、団塊の世代といわれるベビーブーマーたちによって保っているといっても過言じゃない。

それはどこの職場でも同じなようで、「戦争を知らずに生まれた」世代が職場にいなくなった時がこの国の正念場ともいえるのかも知れない。

毎年恒例の忘年会は来年還暦を迎え、定年になる方々をご招待して、盛り上がるのだけど、宴会好きで大騒ぎする団塊の世代がどんどんいなくなり、仲間意識もだんだん薄れ、余興の準備も難儀しそうな今年は特に時の流れを感じずにはいられない。

ベビーブーマーたちは日本の高度成長期に多様な文化を生み、残していったけど、それに続く世代である僕なんかはそのお兄さん、お姉さんの楽しむ様をただまねていただけなのかも知れない。

そんなお兄さん、お姉さんたちとの想い出づくりとして、今年もまた忘年会の準備に追われるこの頃。

2009-10-23

私の中のあなた My Sister's Keeper

小児がんを宣告された姉を救うために生まれた試験管べービーの妹。

幼い時から姉を救うために、入院し、血を、骨髄を提供し続けた11歳の妹が、姉へのドナー提供を拒み、親を告発した。

物語の設定が重松清っぽいけど、この映画は子供の権利とは、生きる権利とは、そして、死ぬ権利とはを描いていく。

化学療法を信じて疑わない母親が、姉のために生まれた妹の「抵抗」にどんどん自分を忘れて、闘い始める時、姉中心の家族愛はきしみ始める。

子供は親が守らなきゃ生きられないのか、親のいうことを子供は聴かなければならないのか。

子供に抱かれて、母親が赤子のように眠る時、母親は母親の責任から解放される。

名作「きみに読む物語」と似たタッチで作り上げたニック・カサヴェテスの手法に好き嫌いが分かれそうだけど、子供の権利って、こういうことだろうなぁと思いもしました。

小児がんの子供たちのドキュメント「風のかたち」をなおのこと、観たくなった。

2009-10-21

リビング Living

子供叱るな、来た道だ
年寄りいびるな、行く道だ

重松清の2000年に発表された短編集「リビング」の文庫化の時につけられた吉田伸子さんの解説の冒頭紹介される文句は、重松清のおそらくこだわる事なんだろうと僕も思う。

短編集「リビング」を読んでいると、この時期の重松清は複数のお話を平行して描く手法へのこだわりが空回りしているようでもあるけれども、その観察眼はやはり面白い。

雑誌編集者とイラスト・デザイナー夫婦とそのお隣さんを描いた連作『となりの花園』春・夏・秋・冬の4作品と一話完結の8編の短篇は婦人雑誌の特集記事とリンクする形で書かれた物らしい。

生活の場で何が起きているのかは、冒頭紹介した文句を忘れた現代人たちの右往左往する様なのだろう。

妻と離婚話が持ち上がっている中流家庭の男、苦労を重ね、いつも息子である男の耳元で呪文のような言葉を唱えていた亡き母の想い出「ミナナミナナヤミ」や何の不満もないけれども、自分の存在意義を見いだせなくなり、夫や子供たちに内緒で自分の育った街にひとり旅する「一泊ふつつか」、親の離婚で苗字が代わり、苗字があだ名の男の子がそのあだ名とお別れを試みる「モッちん最後の一日」などなど、現代の大人たちのプア・リッチな「リビング」の情景が描かれている。

離婚に悩む妻が「ミナ、ナミナ、ナヤミ」と勝手に解釈し、解決させる亡き母の呪文のように、今の悩みはスパイラルするかのように深まっていっているのだろう。

かつて「みんな貧乏が悪いんや」といえたものが、物があふれ、一見豊かになったようで、心の中に一抹の寂しさ、不安がある。それは「みんな貧乏が悪いんや」であるはずなのに、それを認めたくないプア・リッチな人々。

「東京には空がない」といった「智恵子抄」の智恵子のように、物が溢れかえるのが社会と勘違いした社会は「リビング」の空間をなくしている。

そのひずみが子供叱り、年寄りいびっているとしたら、自分たちの将来がどんなものかが判る。

子供叱るな、来た道だ
年寄りいびるな、行く道だ

2009-10-19

誰も知らない祝日 Holiday that no one knows

「11月12日が臨時の祝日って知ってる?」と週末の職場の同僚に聴いたところ、誰も知らなかった。

何でも翌年のカレンダーがとっくに出回った昨年の10月22日の午前に当時与党の自民党が内閣部会で、即位の礼から20年目となる来年11月12日であるという既成の事実を思いつきのように臨時の休日とする法案を了承した、祝日らしいのだけど、出回っているカレンダーとどれも平日となっているために、恐れ多くも「天皇陛下御即位二十年」を祝う祝日が「誰も知らない祝日」となってしまっているらしい。

秋の大型連休という鳴り物入りで行われたシルバーウィークも周りにいる人に聴く限り、この不況のご時世、「ありがた迷惑」で、職場で休みの遣り繰りをつけたところが多かったと聴くけれど、国民生活と政治の乖離は新政権になって果たして変わるんだろうか?

「平成」の世になった頃、クリスマスイブ前夜で、月末、年末の忙しい時、「天皇誕生日」は迷惑だという話もあったけれど、仕事いのちのエコノミック・アニマル日本国民は日本国憲法の冒頭にも日本の象徴と書かれてある「天皇様」より仕事が大切という国民性。

「天皇陛下御即位二十年」を祝う祝日は休むなどとは恐れ多い、働くことしか楽しみがない勤労奉仕する祝日になるのだろうか?

そして、誰かがまた下手くそな中国伝来の「津音階」の日本国国歌「君が代」を声を震わしながら、高齢化社会を象徴するように歌うのだろうか。

「誰も知らない祝日」休みになるのかな?

2009-10-18

ラ・パロマ La Paloma

赤ん坊の頃に母が買い与えてくれたオルゴール。そのオルゴールの奏でる曲はラテン・アメリカの名曲で、世界最古のヒット曲「ラ・パロマ」。

鳩のように自由に羽ばたきたいと願った母がこのオルゴールを赤子の僕の枕元で聴かせてくれたんだと思う。

昨日の職場のバザーには友だち、知り合いが来てくれた。それぞれの羽ばたきたい願いを込めて、与えられた場で集うひとときは、羽ばたきたい願いに繋がっていくだろうか?

「ラ・パロマ」のアコーディオン・バージョンを聴きながら、天高い秋の空を仰ぎ見る。

オルゴール

2009-10-17

カムイ外伝 Kamui

日本がまだ青い海と深い森に守られていた頃、人間も野性的に生き抜く術を持っていたのかも知れない。

白戸三平の「カムイ外伝・スガルの島」の映画化作品崔洋一監督カムイ外伝」を観ているとそんなことを思い巡らす。

人として扱われない非人の生きる術は「忍び」しかなく、「忍び」として生きられない者は「抜け忍」になるしかない。村社会の掟は逆に「天狗」とも相通じるアウトローを生み出していった。

崔洋一監督の師、大島渚の白戸三平原作の映画化「忍者武芸帳」は「敵の懐に入り、かく乱せよ」という戦術論だったけれども、今回の「カムイ外伝」は奪われた者が生き抜くために人を殺すというシンプルな物語になっていた。

「己の作った地獄で死ね」と叫ぶ不動の言葉は「己の作った地獄で苦しめ」となり、村社会から抜け出ることの出来ない民衆の物語にうまくなっていたと思う。

多用されるCGはCGを使わなければ再現出来ない失われた大自然を思い出させ、人間は昔、野山や海を駆け回る生き物だったことに気づかされる。

「己の作った地獄で苦しめ」の演技が一番ぴったり来る松山ケンイチも運動神経ダメダメという割にはなかなかの頑張りだった。

果たして、この映画、続編は作られるのだろうか。(笑)

2009-10-16

未整理 Unarrangement

気がつけば10月半ば。録画したDVDは山積みになっており、洗濯物も溜まってきている。税金対策の帳簿付けも年末間近というのに手つかずだし、年賀状の準備もある。整理整頓にせっかくの休みの日を奪われたくないと思っているからこんなことになる。

けれど、気持ちは表に出たいと休みの開放感を味わいたがるで、困ったものだ。

2009-10-12

運動不足 Lack of physical activity

先週の風邪も結局、病院の薬では治らず、市販薬の「パブロン」を飲む事で、治った。病院の調合薬と市販薬とどちらが体に負担が大きいのかはよく判らないけど、汎用性の高い市販薬の方が利いた事になる。

風邪で咳き込む時に身体の節々が痛かったのも取れたかと思いきや、十年前の腰の痛みがまたぶり返してきた。

その痛みを辿ると慢性化した肩の凝りの奥にあるような首筋の神経痛のような物と繋がっているようで、その二点を結ぶ背中の凝りが咳や鼻水の物のような気もする。

腰の痛みは身体の姿勢のゆがみから来ているようで、少ししびれを感じる左足側に体重を寄せると十年前と同じく、起き上がられなくなりそうで、身体の体勢を右側に反るような感じにしている。

一時、知り合いのやっていたジムに通っていた頃は筋肉をつける事で、体勢維持に心がけもしたし、知り合いのアドバイスに従ってもいたけれども、トレーニングを辞めてからは、平日パソコン・ワーク、土日ワーキング・ワークという両極端の生活が続き、壮年期を迎えたせいもあるのか、体調崩すとどーんと来るようで、適度に運動しなけりゃなぁと思ったりする。

体育の日の今日は天気も良かったので、中央区の街中をバス待ちするのももったいなく、ぶらぶらと歩いてみた。子供の頃、新聞配達をしていたので、歩くのは全然苦にならないけど、歩く頻度が減っているせいか、以前のような長距離は歩く気にならない。

こんな時、知り合いのアドバイスが貰えればなぁと思ったりするけど、まだ知り合いはスポーツを続けているのだろうか。

天高い秋の一日、懐かしい想い出にふと浸ってみる。

2009-10-11

温度差 Temperatures fluctuate

このところ、大気の状態が不安定になっているらしく、昨夜は札幌でも珍しく竜巻注意報なる物が発令された。

そんな不安定な状況下、うちの職場にアルバイトで来ている学生が事故を起こしたという話が流れた。その学生はバイクで三叉路に差し掛かった際、何らかの原因で転倒し、右肩から転げ落ち、肩、あばらを始め、全身打撲の上、骨折もしているらしく、今は病院で入院しているという。

アルバイトの復帰は無理やら、後遺症が残るだろうという憶測やら、いろんな話が流れる中、職場内でもそれぞれ微妙にその事に対し、温度差が感じられる。

そいつと仲良かった奴でもそのような大怪我の話に触れたがらない奴もいれば、落ち込む奴もいる。

現実をどう受け止めるかがそれぞれの中に葛藤としてあるのだろう。

身近な人間が過酷な状況に置かれた時、自分自身ではないからそれぞれの中に温度差が生まれる。

その事を口にすると果てしない言い争いにもなりかねないからみんな押し黙る。

別な事で些細なこだわりからの言い争いの末に、職場を辞めていった人の話を聴いた。

人の中の温度差をなくすのは難しいことなのだろう。

例えその温度差の原因が人の生き死に関わる事であっても。

2009-10-10

空気人形 The Air Doll

福祉のドキュメントを撮っていた是枝裕和監督の最新作「空気人形」はどうも感情移入が出来なかった。

欲望を満たすだけのダッチワイフが心を持ってしまい、街をさまよう物語は現代の空虚さであるのだろうけれど、是枝さんの優しさが仇になったのか、現代人の無関心、ご都合主義といった残酷さが見えてこないような気がした。

ペ・ドゥナの生身の身体と「空気人形」の入れ替わりのCGはどこからどこまでなのか判らなく確かに凄いんだけど。

誰も知らない」のような現代人の加害性を見せつける残酷さがもっと欲しかった。

帰りにいつも寄る定食屋さんで、トイレにはいるとそこに掲げられた色紙が、欲求不満の僕を癒してくれた。

どんなに偉い人でもあなたにはなれない

まんままんま
あなたのまんま
ありのままのあなたが一番

人は誰でも小便小僧や考える人になるんだもんね。

2009-10-09

ぴぐれっと Piglet

うちの職場「NPO法人 札幌障害者活動支援センターライフ」のサイトの更新作業をしていて、年賀状受付なり、バザーなどの行事をお知らせするにつけ、今年も年末に近づいて来た事を実感するこの頃。

昨夜からの台風の北海道接近で、寒さも一団と深まり、自分の部屋でも夏の間使っていなかったストーブを試しもしないまま、使ってみたりもしている。

何年か前、札幌市内で上映されずに、隣町の北広島市で上映され、見に出かけた伊勢真一監督のドキュメント映画「ぴぐれっと」をまた観たくて、いせフィルムに通販でビデオを買ったものを観た。

テーマ曲として使われる「ジョニーが凱旋するとき」は「第十七捕虜収容所」で使われた有名な曲で人間らしく生きたいと願うシンボリックな歌。

横浜の地域作業所「ぴぐれっと」を描いたこの映画もてんかんという持病を持った監督の姪である奈緒ちゃんのお母さんが同じ障害を持つ子を抱えるお母さんたちと作った作業所が大きくなってきて、その作業所を奈緒ちゃんの弟さんに任せるようになり、自分たちが何故「ぴぐれっと」を作ったのか、奈緒ちゃんの弟の世代はどう考えているのか、奈緒ちゃんも親元から地域にどう巣立たせるのがいいのかを語り合いながら、活動する様を描いた映画。

そこには「共に生き、共に働く」という事と対であるはずの「人間らしく生きる」も描かれている。

奈緒ちゃんの弟さんは社会に出て、普通の会社に勤め、脱サラした青年で、「人間らしく生きたい」という気持ちがあり、だからこそ作業所の障害を持った人たちに「人間らしく働く」スピードを教えていく。それは「頑張れ!頑張れ!」なんかじゃない。障害を持った人たちと共に生きたい人たちの「頑張れ!頑張れ!」であり、「ジョニーが凱旋するとき」だと描かれる。

札幌市内未公開のこの映画、出来れば多くの人に観て欲しいと思い、まずは仲間内に観て貰う事にする。

外部PRは出来ないけど、年賀状申込やバザーの会場でお声掛け願えれば、レジスタンスのようにこっそりと「ぴぐれっと」のお話いたしますので、昨年のバザーに来られた方々、「ライフ」にお越し下さいましませ。

2009-10-06

人生よありがとう Gracias a la Vida

アルゼンチンのフォルクローレの母、メルセデス・ソーサの訃報を知った。

軍事政権から民主化に南米全体が大きく流れた1970年代、「新しい歌(ムエバ・カンシオン)」運動のひとりとして世界中を駆けめぐり、時には亡命を余儀なくされた時期もあった。

南米各地のフォーク・シンガーたちの歌を取り上げ、歌い続けたメルセデス・ソーサはチリの軍政下で自死を余儀なくされたビオレッタ・パラの歌を愛し、歌った。

「17歳に戻れたら」「天使のリン」「ルンルンは北に去った」そして、亡くなる直前に発表された「人生よありがとう」

この歌は私の歌であり、この歌はみんなの歌。メルセデス・ソーサはそんな「新しい歌」を歌い続けた人。

2009-10-05

ヤブ医者の問診 The quack's examining in an interview

週末金曜日のお休みの日、なかなか治らない鼻風邪を診てもらいに病院に行こうと思い、近所の内科をネットで調べてみる。

かなり昔にかかった内科は街に出るには逆方向となるし、すぐに注射を打ちたがるヤブ医者の記憶があり、パスし、すぐご近所の内科もすこぶるご近所の評判が悪く、ここもパスする。

地下鉄駅そばの内科はどうなのだろうと、行ってみると、病院内は風邪引きさん達で満員御礼。診察受ける事にする。

名前を呼ばれ、医師の問診を受けるとあっけない対応で、鼻炎性の風邪との事で、お薬をくれるとか。

これは鼻炎の薬、これは咳止めと、出された薬は合計4種類。ここは医薬分業にもなっていないようで、その場でくれる。

愛書「成人病の真実」に手術をしたがる医者と薬を出したがる医者は信用するなと云う名言が書かれていたのを思い出す。

職場で薬を飲んでいると、親しくしてくれるおばちゃまが「そんなに薬を飲んで、胃腸がおかしくならない?」と聞かれ、「薬を飲むために薬を飲まなきゃね」と笑い話。

働くために薬を飲んで治し、体調崩して、また薬を飲む。

世界トップの薬害大国日本の薬依存は何も覚醒剤ばかりじゃないのかも。

「すかっと爽やか」の炭酸飲料だって、もともとはコカイン入りで「すかっと爽やか」だったらしいのだから。

それにしても鼻風邪の治りは遅い。「眠るのが一番の薬」と云ってくれた大学病院の精神科の医師が一番正しいのだろうなぁ。

2009-10-03

星に願いを Maid To Order

重松清さんが1990年代後半の5月1日を過ごす三組の人々の暮らしを綴った「星に願いを - さつき断景

阪神大震災、オウム地下鉄サリン事件からノストラダムス、2000年問題まで世相に不安が蔓延した時代。阪神大震災に自分捜しに出かけ、宙ぶらりんなまま、大人になっていくタカユキ、オウム地下鉄サリン事件に地下鉄一本の差で助かったヤマグチさん、娘を嫁がせ、妻を亡くし、初老を迎えるアサダ氏の物語。

その中で、ヤマグチさんが語るオウム地下鉄サリン事件に地下鉄一本の差で助かった意識とその事に関心抱く道楽大学生の話が印象に残った。

ヤマグチさんはこんなに「死」が近い物なのかと思うのに対し、道楽大学生は「ラッキー」でしたねと関心抱くポーズだけで、ヤマグチさんの心の内のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を知ろうともしない。

悲観主義が世の中にはびこる時、それに反撥する楽観主義が現れ始め、今に至ったのかなと思うこの記述は、阪神大震災で自分捜しを出来なかったタカユキのその後の何となく流される生き方にも繋がるような気もするし、身の回りの環境がいつ間にか変わっていくアサダ氏の生活でもあるような気もする。

現実逃避がいいのか悪いのか、ヤマグチさんは世の中に脅えながらも、妻や娘に「心配しすぎ」と冷やかされ、娘がいじめのような状態にあう年頃になった時、痛みの判る人間として、娘に寄り添う姿を読む時、転んだ事のある人々は素敵だなぁと思えてくる。

2009-10-01

嫉妬 0 Ciume

風邪気味の身体を無理させ、仕事をしていると、カエターノ・ヴェローゾの「嫉妬」を聴きたくなってくる。

嫉妬こそが孤独になるとでも歌っているような暗喩の歌詞と、ガルシア=マルケスの小説のような渇いた街並みが思い浮かぶメロディに惹かれるのだろうか。

「焼き餅」「憧れ」「ねたみ」「そしり」そんな人間の闘争心が共に生きる社会をぶち壊し、「おまえはひとりだ」と「嫉妬の化物じみた影が君臨」させる。

疲れている時は被害妄想として、元気な時は詮索として。

シコの前で太陽も眠る 正午
すべてがおまえの光彩に酔い
ぶつかり合う
ポンチも ペルナンプーコも リオも バイーアも
そして 黒い橋のみが見張る
私の嫉妬心を

嫉妬の心が黒い矢を放ち
矢は喉元に命中した
楽しそうでもなく 悲しそうでもなく 詩人のようでもなく
ペトロリーナとジュアゼイロの間で シコ老人が歌う

ミナスからやってきた
神秘の影か隠されている土地からやってきた シコ老人
おまえさんは 何もかもを内に隠しもっているのだろう
だが 教えてはくれない
で、私はひとりだ ひとりだ私は ひとりだ

ジュアゼイロよ
おまえはあの昼下がりを憶えてもいまい
ペトロリーナよ
おまえは気がつきもしなかったろう
だが 歌声のなかではすべてが燃える
何もかもが徒労 すべてを探す どこだ?
たくさんの人々が歌う
たくさんの人々が口をつぐむ
製革工場で引き伸ぱされるたくさんの魂
すぺての道に すべての部屋に
嫉妬の化物じみた影が君臨する