2009-11-30

幸福 Happiness

CSのTBSチャンネルで、僕が学生だった頃、安定成長期からバブルに向かう時代にテレビで放送されていたドラマの数々が放映されている。

山田太一の「岸辺のアルバム」は一見平和そうな中流家庭が、実はそれぞれてんでんバラバラに生きている事を描いたものだし、向田邦子の「家族熱」は後妻に入った家族の中に前妻の影があり、必死でそれから逃れようとしながらも、逃れきれない、人間の業の強さ、弱さを描いたもの。そして、有名作の山田太一の「ふぞろいの林檎たち」はこの時期の大学生の青春像を通して、それぞれが背負う家庭を描いた物語。

山田太一、向田邦子、それに「北の国から」の倉本聰が壊れ行く家族の大切さを描いていた。

素顔の幸福は
しみもあれば 涙の痕もあります。
思いがけない片隅に、
不幸のなかに 転がっています。

屑ダイヤより小さいそれに気がついて
掌にすくい上げることの
できる人を、
幸福というのかもしれません。
ドラマ「幸福」より

一流商社に勤めるエリートの兄と町工場に勤める落ちこぼれの弟が織りなす物語は些細な事に鈍感になっていく兄と些細なことに振り回される弟の話でもあった。

家庭崩壊から少子化高齢社会に突き進んだ今、モラトリアムのマニュアル至上主義が大手を振るい、隣人愛など見向きもされなくなっているけど、人恋しさを抱えながらも、どう隣人と付き合えばいいか判らずに見栄を張り合い、生きる人は多いと想う。

だから、今、30年前のドラマが次々と放映されているのかなとも思いもする。

ドラマ「幸福」の主題歌として流れたアン・マレーの「辛い別れ」は失うわけがないと思っていた人を失った哀しみを歌う歌だったけど、人間、大切な物をなくした時にその大切な物に気付くのかも知れない。

2009-11-28

生まれた時 Birthday

誰もが記憶するのに、誰もが確かな記憶を持たない日。

僕も周りから自分の産まれた日のことを聴かされるけど、それぞれの立場での記憶で語られるお話は矛盾に満ちている。

自分の子供にそこまで話すの?といわれる位、僕の出生にまつわる話をした母も仮死状態で生まれたという僕の産まれてすぐの応急処置を知るはずもない。

「意識を回復させるためにお湯と水に交互に入れた」「足首を掴んで振り回した」「鉗子を使い産まれたから、鉗子が首の後に食い込み、かぎ裂きになった傷を応急処置した」などなど

確かに首の後には縫い傷の痕が残っているけども。

外を見ると街は一面雪景色。僕が産まれた日もこんな雪景色だったんだろうか。

誰も自分の歴史の始まりの真実を知らない。

2009-11-27

週末 Weekend

例年根雪になる時期でもある11月末なのに、今日は気温7℃で、雨降り。一気に寒くなることも考慮に入れて、台所横にある勝手口のドアをビニールテープで、密封して、外の冷気が入り込み、水道を凍結させる事のないように、備える。

この作業、数年前は肩が上がらなく難儀したけれども、今年は肩の上げ下げが苦にならない。その代わり、喉つまりなど、ちょっと自律神経症ぽい不調はあるのだけれども。

自分の誕生日もある今週末は何だか知らないけど、用事がつまっており、土曜は職場忘年会の準備打ち合わせ、日曜は忘年会当日食事する間もない役員のためのお食事会が忘年会が行われるホテルであり、月曜は平日の職場の方での休職される方のご苦労さん会とある。

ちょっとひどくなりかけている身体の凝りをほぐし、愉しいお食事会を過ごせるようにしなければと肝に銘じる。

寒くはなっているけど、防寒対策するほど寒くはないあいまいな天候も身体の凝りに影響しているのかなと思いもするけど、筋肉が硬直しやすい体質はやはり難儀、何とかならんかねと思いつつ、湿布薬を貼る。

2009-11-24

眠れども、眠れども insufficient to sleep

先週末に有給休暇を使い、昨日の祝日まで、5連休。

中、土日は仕事だったけど、ある程度溜まっていた用事も適度に片付け、昨日は出先でも、帰宅後も、幾らでも寝ることが出来た。

40過ぎに痛めた背中の痛みに湿布薬を貼り付けると、どんなに寝ても、すぐに眠れ、身体の疲れが溜まっているんだろうなぁと思いもする。

これから自分の誕生日を過ぎると、年の瀬の慌ただしさがまた始まる。

さてさて、残っている有給休暇を活用して、どのように身体休める時を作ろうか。と考えているとまた眠くなる。

この眠気が永久の誘いにならないことを。

2009-11-21

鬼千匹 1000 demons

口ひげを伸ばし始めて、10日ほどが経ち、髭の生え具合も様になってきて、髭を剃らずに週末の職場に出勤した。

お役所的な職場だけあって、我が口ひげに様々なリアクションがあり、似合うと褒めそやす者、何も言わず状況伺いを決め込む者、「剃り忘れたの?」とかばいに入る者、遠巻きに上司に批判を唱える者などなど、まさに身の回りは鬼千匹。

職場では最古株の僕ではあるけど、この陰湿な雰囲気は何とも居場所がない。

上司が、こっそり「口ひげは駄目」と手真似で忠告してくれ、いわれたから剃るのは癪だけど、口ひげを生やすとどんな感じになるか判ったから、すんなり了解し、今日一日はこのまま勤務させて貰った。

口ひげを伸ばしただけなのに、出る杭扱いの鬼千匹。これが与えられた自由なんだろうね。

仕事後、銭湯で10日間の付き合いの口ひげをどう剃ろうか、インチキ中国人みたく残してみるか、ハイルヒトラーにしてみようかとも思ったけど、そんなオタク遊びには興味なく、綺麗さっぱりそり落としました。

さてと来週の週末までまた懲りない口ひげ伸ばしでもしてみるか。

これが自由というものだ!(笑)

2009-11-19

腸内年令 Age of intestines

ネットで、「腸内年令」という言葉を知った。

お腹の中の善玉菌と悪玉菌のバランスが老化とも関係して、そのバランスが保たれると、疲労感や肌の艶、病気への免疫力にも影響が出てくるらしい。

「腸内年令」を若く保つにはビフィズス菌や乳酸菌などの摂取をという事なのだけど、このところ、下痢気味が続き、疲労感も抜けない原因はこの「腸内年令」なのかなと思いもする。

このところ、何となく刺激性のある炭酸が飲みたくて、職場での水分補給として、炭酸飲料ばかり飲んでいたので、それが下痢や疲労に繋がっているんじゃないかと、ここ数日、乳酸飲料に切り替えてみると、下痢気味なのが治った気もする。

友人で若い頃に直腸の手術をし、人工肛門の生活を送る人がいるのだけれど、やはりその人も体力的には無理出来ないらしく、「腸内年令」を若く保つという事は大切なことなのかも知れない。

人間は身体が資本であり、その人の身体の状態を保てるのは本人にしか出来ない事。

排便した自分のうんちは自分のお腹の中の状態を示すバロメーターでもあるから、忌み嫌って、すぐに水で流さずに、一目置いて、見送ろうと昔誰かに教わったけれど、この頃は見送りせぬまま、トイレに放置する輩もいるせいか、便座から腰を上げると見送る間もなく、自動で流してしまう便器もある。

便利さ優先で、自分の健康もおろそかに、気がつけば健康を害しているなんてまっぴらゴメンと思うのは、生まれつき身体の不自由さと向き合って生きなければならない我が感性のせいなのだろうけど、人生半世紀、大病は一度もないのはそのお陰とも思っている。

2009-11-17

裸足で走れ Run barefooted.

話題が反貧困になり、障害者団体による公園でのホームレスへの炊き出しの是非の話が出始め、障害者団体とホームレスの関連性が感じられないのか、批判する人がいた。

一応、その背景としてある社会的弱者の連帯の説明をしはしたけれども、どこまで判ってくれたのか、それで話は打ち切りとなった。

障害者を支援する立場の人には、社会的弱者は「がんばれる」というスタンスを持つ人が多く、「がんばれない」立場がどうもピンと来ないのかなと感じることがままある。

例えば、転んだ人に「がんばれ!がんばれ!」と声援を送り、立ち上がらせるのがいいのか、転んだ人に手を貸して、立ち上がれるかどうかを確認した上で、それなりの「がんばれ!がんばれ!」と声援を送るのがいいのか、どちらが親身になっているのかだと思うのだけど、得てして、ただ「がんばれ!がんばれ!」と声援を送る事のみが正しく、後は転んだ人の自己責任に任せるという、なんだか肌寒くなりそうな支援が良しとされているように思えてくる。

中島みゆきさんの「裸足で走れ!」はそんな状況を歌ったものかなと、僕の好きな曲でもある。

裸足はいかがと すすめる奴らに限って
グラスを投げ捨てる
ささくれひとつも つくらぬ指なら
握手もどんなに 楽だろう

かかとを切り裂く 痛みを指さし
心の熱さと 人は呼ぶ
ここまでおいでと 手を振り手招き
背中へ ガラスを降り注ぐ

どんなにがんばっても、億万長者になれるのはごく僅かと判っているのに、「がんばれ!がんばれ!」と声援送る人の身体も多分血だけなんじゃないだろうか。

2009-11-15

顔遊び Face play

銭湯でひげ剃りをしていて、顎髭の中に白い物がちらほら見え始めた。そういえば、髪の毛もずいぶん白髪が多くなってきたなぁと思う。

無精髭の顔を鏡で見ていると、口ひげを伸ばすとどんな顔になるのか、試してみたくなった。

生まれてこの方、髭を伸ばすなどということは考えたこともなく、伸ばしたとしたって、その手入れが面倒くさく試す気すら起きなかったのに、白い物がちらほら見え始めた人生半世紀、ちょっと自分の顔を遊んでみたくなった。

そう思い始めて、5日目、ひげ剃りの時にも口ひげだけ剃らずに残し続けたせいか、まだらながらに髭が生え揃い始め、口ひげをつけた自分の顔とご対面出来るようになった。

ふーん、こんな顔になるのかと思いもし、こんな顔になった事が嬉しくもある。

けれども、本格的に髭を伸ばす気もなく、「こんな顔」がある程度判ったら、剃るつもりではいる。周りの友だちから不評だったら、すぐ剃るつもりでいるし。

けど、私の知らない私の顔と出逢うのも少し面白く、今しばらくは顔遊びを続けるつもり。

仮面(ペルソナ)をつける楽しみってこんな感じなのかなと人生半世紀の初体験を楽しむこの頃。

2009-11-14

人生讃歌 Life admiration song

森繁久弥さんが亡くなられて、緊急追悼特集としてJ:COM日本映画専門チャンネルで、「夫婦善哉」、「警察日記」などの代表作が放映されている。[緊急特別編成 追悼・森繁久彌]

日本の男の不甲斐なさ、甲斐性なしを演じさせたら天下一品といわれた森繁久弥さんの名作は今観ても心揺さぶるものがあり、これまた代表作の「猫と庄造と二人のをんな」などは二人の強い女の板挟みに合い、飼い猫に我が身を寄せる情けない男を演じ、白眉でもあったし、粋がっている日本の男のもろさをこれほどうまく演じた役者さんはもう現れないかも知れないとも思う。

その森繁さんがテレビドラマの黎明期に「七人の孫」というドラマに出演し、その主題歌を作詞し、歌ったのが「人生讃歌」だという。

生放送が主流の時代だったため、「七人の孫」の映像は現存していなく、僕もおそらくリアルタイムでは観ていないと思うけど、この歌は学生の頃に活動していた映画サークルの人がサークル仲間の結婚式の時に必ず歌う歌として、聴き親しんできた。

団塊の世代のその人が社会人になりたての頃、放送されていたお祖父ちゃんと七人の孫の物語は大家族が健在だった時代を象徴するドラマだったのだろうか、いつも結婚式で「人生とはいいものだ」とその人は誇らしげに歌っていた。

どんなに時代が移ろうと
どんなに世界が変わろうと
人の心は変わらない
悲しみに喜びに
今日もみんな生きている

初めて、森繁さんの歌を聴き、その時代がかった歌に照れは感じるけど、そうだよねと頷く自分もそんな当たり前の事がいいなぁと思える歳になったのかも知れない。

100歳までは生きられなかったけれど、生きていられた事を森繁さんは喜んでいるんだろうなぁ。駄目男を演じた人は老いる前に「恍惚の人」で自分の垂れ流したうんちの中で助けを乞う老人を演じていた。

「ほんまに頼りにしてまっせ」が口癖の「夫婦善哉」の森繁さんは人を頼りに何とか生きる日本の駄目男の弱さ、ずるさをひっくるめて「人生とはいいものだ」と歌ったんだろうなぁと思いもする。

「人に迷惑をかけてはいけない」ともっとらしい事をいう人だって、生きてるからには一杯迷惑をかけている。それが生きることなんだぜって、森繁さんの出ている映画は描いているような気もするし。

だけどだけど
これだけは言える
人生とはいいものだ

2009-11-13

タイツの季節 Season of tights

今月初めの寒気を乗り切り、暖かな日が続いていたけど、11月も二週目になると、どことなく身体の疲れ具合を感じるようになる。

冬の身支度にはまだ早いかなと思いつつ、週初め、最低気温がマイナスになると聞かされ、タイツを穿き始める。気のせいか、タイツを穿くと、寒さで身構えていた身体が少しだけ楽になったような気がする。長袖の肌着はまだ早いような気がして、上はまだ半袖の肌着のままだけども。

週末金曜、定休なので、自分の部屋の窓ガラスに冷気よけのビニールシートを垂らしたり、外に出している物干し竿を車庫にしまったり、ぼちぼち冬の仕度をし始める。

週末はまた少し気温が高くなり、雨の予報だけど、その後はまた最低気温マイナスになるとか。三寒四温、衣替えの季節がまたやってきた。

2009-11-09

東京迷子 Stray child of Tokyo

50を目の前にした友だちから、東京に単身赴任の知らせが送られてきた。

不景気な時代、勤めていた会社が札幌から撤退で、結局は大消費地東京への転勤が命じられたらしい。

子供は大きくなったとはいえ、まだまだ働き盛り、勤め口があるだけマシとはいっても、50を目の前だと、順応性は若い頃の比じゃないはず。

せめて、東京迷子にならないでと願うだけだけど、かつては日本全国東京のような大消費国家を目指した国も、半端に都会化し、都市型犯罪だけ残して、シャッター通り化していく札幌の街並みの方が東京迷子にも思えてくるけど。

一番お金を持つ団塊世代が運営する中小企業が後継者育成もうまくいかずに廃業件数、全体比の半分を占めるという今日、東京迷子、東京砂漠の広がる早さは凄いのだとか。

「5年過ぎれば、人は顔立ちも変わる」

中島みゆきの「トーキョー迷子」じゃないけれど、後5年経てば、アカルイミライが望めるのかしら。

2009-11-07

図々しい奴 Impudent fellow

仕事後の更衣室で、学生のひとりが顔を洗った後に、タオルを忘れたことに気づき、ロッカーの上に積み上げている段ボールを片っ端から物色して、お客への配布用のタオルの残りがないか探し回り、「ねぇ!」と喚いていた。

こんな公私混同が甚だしい奴だったかと思い、ムッと来た。

先週、アルバイトをとっくに辞めた奴が客として来ていて、帰り際、外は土砂降りになっているのを口実に休憩室に入ってきて、軽く会釈して、お客が忘れていって、取りに来なさそうで破棄予定のビニール傘の置き場を物色し、適当な一本抜き取り、出ていった厚かましさも呆れかえったのだけれども。

まぁ、これで下手に権力を持って、公私混同甚だしく命令したり、イチャモンつけられるよりは、可愛いっちゃ可愛いけれども、出来ればこんな輩とは関わりたくはない。

老いにつけ、若きにつけ、図々しい奴はどこにでもいるのだよね。

2009-11-06

母なる証明 Mother

知恵遅れの我が子が殺人事件の犯人として捕らえられ、我が子を救うために真犯人捜しを始める母。

グエムル -漢江の怪物-」のポン・ジュノ監督がサスペンス・タッチで描き出すこの映画は知恵遅れの人の犯罪を取り上げながらも、我が子を守りたいとする盲目な母親の罪を描いている。

韓国の寒村を舞台としたこの話は、母親が知恵遅れの息子を背負い込まなければならない社会であり、チンピラまがいの男が息子を引き連れて遊び歩く社会であり、殺人事件が起きたら、ろくに調べもせずに知恵遅れの息子の遺留品があったというだけで殺人犯として検挙し、誘導尋問を行う社会である。

けれども、日本ならば市原悦子のような盲目な母親の罪を描く迫力は凄まじいものがあるけれども、物語は随所破綻をきたしてもいて、知恵遅れの人の犯罪の奥に潜む社会の閉鎖性、排他性が見えてこないのも確か。

グエムル -漢江の怪物-」での環境汚染から始まるパニック映画のように、ただ社会問題を映画のたたき台にしたかのような気もするけど、現実、知恵遅れの人の犯罪は親との関わりが大きい分、映画のたたき台だけならば、それで済まして欲しくはないよなぁとも思う。

兵役後の復帰第1作となるウォンビンは演技派を志し始めたのだろうか、それとも地なのだろうか、「聖者の行進」のいしだ壱成と並ぶ名演ではあったけど。

母親の狂気を描くのならば、知恵遅れの人の犯罪でなくとも、お受験の子供を抱えた母でもいいわけだし、障害者の母ならば、この映画でも、幼い頃、農薬を飲ませ殺そうとしたという話が出てくるけれど、「母よ、殺すな」の母もいるわけで、我が子をペット化する親の狂気はいくらでも描きようがあると思うのだけどね。

そんな母を利用しようするチンピラまがいの男や弁護士、警察なんかもいい人ぽく描かれているから、嘘だろうと思ってしまうし。

「渡る世間は鬼」だから、盲目な母親の罪なのにね。

2009-11-05

夢破れ、夢に帰る The dream tears, and it returns to the dream.

今日、職場の来週の昼食メニューが回ってきて、来週11月12日が祝日でないことを知る。職場の同僚が調べてくれたところ、自民党が閣議決定しながらも、衆議院解散となり審議未了となり、民主党政権になってから再審議が自民党から出されたのが10月末で、11月12日の祝日は見送りになりそうとの事。

今月のお休み計画として、11月12日が祝日ならば、第3週のみが休みのない週になるから、そこを有給を使って、金曜休みの平日勤務は各週3日間の予定でいたのに、その夢も破れてしまった。

第2週の来週は平常通りの4日勤務になるけれど、週末の仕事の方で有給を入れたから、なんとか無理出来る。

これからの冬期間、こんな感じで、使わずにとっておいた有給休暇を消化しながら、自分へのご褒美と身体をいたわろう。

大人の隣を追い越せば、しらけた世代と声がする
子供の隣を追い越せばずるい世代と声がする

中島みゆきさんの「成人世代」を思い返し、「夢破れ、夢に帰る」そんなしたたかさで今まで来たんだと思ったりもする。

辛い時に辛いといえないよう生き方はしたくない。

「残業続きでお金は貯まるけど、何のために働いているかわかんない。」と喋っていた女の子のことを思い出しもする。

寂しい気持ちを抱きしめて
寂しさ知らないふりをする

2009-11-03

ポー川のひかり Cento Chiodi

木靴の樹」の巨匠、エルマンノ・オルミ監督が長編最後の作品と位置づける「ポー川のひかり」を観る。

上映館でこの作品と「湖のほとりで」が同時封切りだったので、二本続けて観ようと思っていたけど、寒気の襲来で、布団から出たくなく、お目覚め、9時半というところで、「湖のほとりで」は次の休日に先送り、まずは「ポー川のひかり」を観る。

ネットの評判通り、眠かった。(笑)予備知識何もなく、キリストそっくりの「キリストさん」が川の畔に住み着く話と思いきや、ミステリーぽい導入部で混乱しつつ、話半ばの「キリストさん」が川の畔に住み着くあたりでは眠気との闘いは最高潮。

映画の中身も意味深めいた感じで、エルマンノ・オルミ監督の描きたいことは何となく判るけどね。ネオリアリズムの後継者と持て囃された人の現役引退のメッセージ映画は「書を捨てよ、町に出よう」なのだろう。

2009-11-02

32時間 For 32 hours

「朝出勤して、翌日夕方帰る。」

仕事帰りに久々一緒になった知り合いが近況を教えてくれた。

初めは口重かった知り合いも元々は話し好き。こちらの問いかけに乗ってきて、こちらは寄り道途中までの気軽な会話のつもりが、別れづらくなった地下鉄駅までその知り合いの話に付き合う羽目になってしまった。

「深夜の3時を過ぎるともうどうでもよくなっちゃいますよ」

予算が削られ、人手が減らされ、末端職は人体実験のように過剰超勤労働を強いられるらしい。

「32時間の勤務が月6回ですからね。」

計算すると8時間労働一月分と大して変わらず、深夜超勤の分だけ手取りの増えるのかなと思うけど、「生かさず殺さず」メンタル疾患にならなきゃいいけど。

自分を語る言葉がどこまでも軽やかな彼を気遣う。

「JRで帰るんですよ。地下鉄だとバスに乗り換えなきゃならないから」

また逢う日を願いつつ、彼と別れた。