2010-08-06

BOX 袴田事件 命とは

「人を裁くことは、同時に自分も裁かれることではないのか?」

昭和41年、静岡県清水市で起きた「袴田事件」に関わった元裁判官視点から描かれたこの映画は従来の社会告発的な「冤罪事件」ものとは一線を画した作品になっていた。

男女の性愛を描くピンク映画出身の高橋伴明監督は、裁きに関わる人間の苦悩を生臭く描き、人が人を裁くことを映画として見せつける。

人の生死と自分のプライドという天秤ばかりに揺れ動く警察、検察、裁判官たちの中、どう見てもおかしいのに、おかしいといえなく、「冤罪」で死刑判決を言い渡してしまった元裁判官は、裁判官の守秘義務と死刑判決で強い拘禁反応をおこし、適切な治療すら受けさせて貰えない袴田被告状況に、揺れ動き、平成19年、40年目の告白に踏み切る。

極限状況に置かれた時、人はどうなるのか。映画ではアウシュビッツユダヤ人たちが、ゲシュタポに命じられる前に、命じることをやろうとする「苦痛の緩和」の話が語られ、戦時中翼賛選挙を無効にし,東條英機首相と争った吉田久裁判長の話が語られる。

「人を裁くことは、同時に自分も裁かれることではないのか?」

「冤罪」の話を聴く度、いつも思うことだが、裁く者のプライドだけでその真犯人が捕まることをまぬがれ、罪も償わずにいるこの社会の方がはるかに怖いと思う。

テレビでは被爆65年の夏、ヒロシマニュースが流れ、初めて参加したアメリカ大使に対し、広島に原爆を投下した米軍B29爆撃機エノラ・ゲイ」の機長ポール・ティベッツ氏(故人)の息子が「歴史の改ざん」と批判したと語っている。

元ちとせの「死んだ女の子」のライブクリップを見たくなった。

幼くして原爆で死んだ女の子、若くして獄中生活を強いられた袴田さんを思って。

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