2010-08-21

私が知らない私 I whom I do not know

小泉小父様がイラクで日本人が拉致された時に云いだしてからだと思うけど、「自己責任」というのがなんか今の世の中、一般化しているみたいで、「自己責任」転じて、「人のことは判らない」「言わなきゃ判らない」と自分の人に対する無関心ぶりを肯定する風潮が当たり前になっている感じがする。

「人のことは判らない」「言わなきゃ判らない」から、孤独死も多くなってきているし、虐待だって、泣きわめいたって、うるさいとしか感じなくなっているんだろう。

たまに行く銭湯の女将さんが先日、僕に「やせた?」と聴いてきた。

食欲はあるし、お腹の出具合が気になるので、やせたという感覚はなかったけど、例年にない猛暑で、疲れが取れにくく、夏バテ気味かなとは感じていたので、女将さんにそんな話をすると、「ちゃんと食べているのなら、いいけど」と返された。

相手に対するちょっとした関心が、云われた方には自分を気付かせてくれることがある。

選択権に対する「自己責任」を一国の総理が云いだしたことで、「無関心」が当たり前の事になった世の中、やはり安易な風潮は根付くのだろう。

寄り添いあうところから「人」という漢字があり、目に針を刺し、廻りが見えなくなるところから「民」という漢字があるという。

私が知らない私を教えてくれるのは隣の人。こんな歌詞が思い浮かぶ。

「誰だって旅くらいひとりでもできるさ
でも、ひとりきり泣けても
ひとりきり笑うことはできない」
中島みゆき「With」より

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