2010-10-31

更年期 The change of life

英語では、"The change of life"らしい、「更年期」。

女性に顕著に現れるらしい「更年期障害」なのだけど、男にもあるという話をよく耳にしていた。

この頃の節々の痛みや五十肩を思わせるような肩凝り肋間神経痛などなど、もしかして「更年期」と思いたくなる身体の変調。

更年期障害をこじらせ、"The change of life"がうまくいかなかった母を見ているだけに、この更年期障害がちょっと権威に感じてしまう。

まだ精神的な落ち込みや不安定は感じていないから、そんなに心配はないと思うけど、やはりこの体調の変化をこじらせ、長引かせたくはない。

単なる運動不足でした、ということになれば万々歳なのだけど、昨夜の関東空振り台風で、また身体を酷使する用件が増えた。

とかく社会はままならぬ、傘を差す人、作る人

穏やかな時代を望むといいつつ、人は荒波を何故好むのだろう?と思うことが、更年期なのか。。。

"The change of life"人生の変わり目なのだろう。ああ、しんど。

2010-10-29

iPhoneで居留守 no answering machine.

iPhoneを手にして、一週間。契約内容の再確認で、つなぎ放題フラットへのコース変更も叶い、無線LANルーターも貰えました。

iPhoneを活用するためのアプリもいろいろ入れていき、iPhoneに搭載されているSafariだと利用しにくいサイト補助アプリが多いことになるほどねと思ってしまった。

環境を問わずに利用出来る情報があれば、それを取り出して、閲覧している状態にあわせて見せる技術が求められるということで、閲覧端子が多様化していく今、有益な情報とその情報を表示させる技術が求められていくのだろう。

iPhoneアプリに金を使うのも莫迦らしく思えるので、無料のアプリを試しているけど、無料ならば広告収入を当てにしなきゃならないのか、広告表示されるアプリが無料のものには多いように感じる。

広告くらいならまだいいけど、PCとの連携だとかで、会員制のアプリも多く、個人情報の取り扱いが気になるものもある。

かといって、有料アプリでお金を払い、使い勝手が悪かったらそれこそ莫迦らしいし、情報社会の今日、自分の立ち位置がおそらく問われているのかなとも思ったりする。

そんなこと気にしてもどうしょうもない、せっかく持ったんだから活用しようとは思うけど、そのからくりを踏まえた上で使いたいなぁと思うのですよ。

で、機能をいろいろ調べていくと、今まで当たり前にあった電話機機能で、留守番録音の機能が何故かなく、一定の応答回数を過ぎれば、留守録になるという機能がないことに気がつきました。

電波状況の悪い時や応答しない時にSoftBank留守番電話サービスに繋がり、録音データがiPhone側に送られるらしいのだけれど、これもまた課金の対象らしく、何だかちょっとアコギな気がする。

留守番電話サービスを利用しないという選択肢もあるみたいだけど、手が離せず出られない時とか、出たくない相手からの電話への対応を考えなきゃならないのかな。つまりはiPhoneを持つと居留守に苦労するなんて事があるのかも知れない。

留守録機能があれば、自動応答で録音され、その場で出たり、かけ直す手間が省ける場合だってあるのに。

情報端末、iPhoneはまさに情報社会の申し子なのかも知れない。

位置確認ツールのGPS機能なんかはストーカーぽいしね。(笑)

2010-10-26

iPhone Debut 事始め

風邪気味の体調不良がしつこく続くこの頃、先行き不安のWillcomの縛りも来月末に切れることだしと、体調不良の気分転換、ストレス発散にiPhone 4を先週末に契約しました。

会社の近くのSoftBank Shopに行き、手続きすると、障がい者サポートのハートフレンド割引を適用させてせいだろうか、契約内容に制限がかけられ、余計な手間がかかってしまった。

本当かなと思いつつ、さっさと契約したかったから、手続きを済ませ、帰宅後、iPhoneに入れたい連絡先やら、音楽データを入れ、週末を迎え、ばたばたしているうちに、週明けとなり、やっと落ち着いて、疑問に思っていたSoftBankのハートフレンド割引について、ネットで再確認すると、契約できないとされていたパケットし放題フラットが選択可能と記されている。

ショップでは選択できないから、従量制のパケットし放題を契約し、パケットし放題フラットで得られる無線Lanルーター無料提供サービスや機種料金の月々割の減額が受けられないと言っていたのに、これはどういうことなんだぁと、首をかしげている。

ショップでもオンライン契約になっているようで、契約手続きの時に、エラー表記がされての手間取りだったので、料金体系が複雑なSoftBankのシステムの問題だと思うのだけど。

なんか、出だしからいちゃもんをつけられたようで、釈然としないのだけど、iPhone本体の捜査感は、今まで使っていたWindws Mobileよりも軽快で、難点を言えば、すべてタッチパネルでのキーボート入力利き手が不自由な僕としては、間をおかずに連打しなければならない五十音入力は難しい面が多々あり、フルキーボードでの入力を使っているけど、キーピッチが狭いからこれまた難しい。

まぁ、慣れもあるだろうから、まずは使いこなす事を考えているけど、デジタル機器のアナログな面で、やっかいなことが起きやすいと改めて認識する次第でした。

Willcomは携帯とされていなかったから、携帯メールで登録出来る各種サービスを活用して、まずはiPhone活用術を身につけようと思っている次第。

いろいろ調べていると、今話題の電子書籍も日本の企業の対応が遅れており、一流メーカーでも単なるテキストファイル販売しているサイトもあるそうで、日本IT立国化もほど遠いのだねと悲しくなる現実も見えてくる。

おしゃれで終わるか、実用にまでこぎつくか、僕の電子端末の事始め、まずはご報告。

2010-10-24

天使のだみ声 Angel's hoarse voice

顔のパーツが似ているとよく云われる元憂歌団木村充揮ライブを聴きに、友だちと今や札幌の古参ホールであるベッシー・ホールに行ってきた。

天使のだみ声と威名を持つ木村君は本来関西ブルースの人なのだけど、今や歌謡曲からフォークレゲエに至るまでカバーしまくる人でして、憂歌団の名曲、「おそうじおばちゃん」から「嫌んなった」「どてらい女」などから、定番の「君といつまでも」の他、「石狩挽歌」、90年代アニメ化された時にテーマソングを歌った「ゲゲゲの鬼太郎」レゲエの名曲「ノー・ウーマン・ノー・クライ」と歌いまくり、ハッピーなライブを堪能させてくれた。

みんな好きにやりゃぁいいじゃないの「ハッピーソング」や河島英五の「野風増」のカバー、替え歌で「男は生意気ぐらいが丁度いい 男は大きな夢を持て 女も大きな夢を持て 云われなくても夢を持つ」歌う反骨精神は、気負わず生きる木村充揮の生き様なのだろう、いい雰囲気を醸し出していた。

大好き「ケ・セラ」は歌われなかったけれど、今日の木村君はバラードよりもフォーク的な歌を聴かせたかったのだろう。

2010-10-20

風邪に胃薬 The stomach medicine works for the cold.

昨夜あたりから喉がいがらっぽく、今日は大事をとって、家でゴロゴロしている。

風邪っぽいので、風邪薬を飲んでいるけど、左胸の痛みを感じ、肝炎の主治医に看て貰った時に、その痛みを抑えるのに、痛み止め胃薬を処方してくれて、「風邪の時なんかに飲むといい」と云ってくれたのを何となく思い出す。

胸の痛みはいろいろ調べていくと「肋間神経痛」のようで、疲労やストレスなどから起こるらしく、はっきりした原因は不明の痛みのようで、処方としては、湿布や痛み止めをくれるのが普通らしい。

風邪なども疲労やストレスから引くことが多いようで、弱った身体には食欲を助ける胃薬が最も効果的なそうらしい。

風邪の時に一般的に飲まれる総合漢方薬は解熱も加わるからであって、基本は食欲で体力をつけて、睡眠で身体を休めるのが、病気治療の基本らしい。

よく寝て、よく食べる。これが生きる源だから、まずは今日一日、自分の身体をいたわり、大人しくしていようと思う。

2010-10-17

アンダンテ 稲の旋律 Andante

テレビバラエティ番組で、帰化した外国人タレント達が「中国には人権がない」と議論していた。外国人に参政権を与えず、子ども障がい者の人権保護に批准しながら、肝心の法案も作れない国で、よそ様の国のことを語らせるのは帰化した外国人タレント達が一番望ましいのだろう。

友人の会社が配給した映画と聴き、「アンダンテ - 稲の旋律」を観に行く。

引きこもりと日本の食の問題を取り扱った映画は、少し俳優達のセリフが説明口調にはなっていたけど、「アンダンテ=歩くような速さで」というテーマをうまく捉えた映画になっていて、日本の農村の風景を観るだけで心安らいだ。

社会に適応出来ずに、自分の部屋に籠もる人たちを「引きこもり」と定義されているけど、学校にも、仕事にも行けずに、かといって遊びに出ることもしない人たちを「ニート」というと知り、「引きこもり」が「ニート」であって、学校にも、仕事にも行かずに、遊びには出ている親のすねをかじる人たちをも「ニート」と呼ぶ風潮は、社会の問題を個人の問題にすり替える世論操作なのだ知った上で、この映画を観ると、「引きこもり」「ニート」の辛さはよく描けていると思う。

食の問題も食物自給率40%で、穀物自給率30%のこの国の無責任な行政施策は、殊更騒いだ中国ギョーザだけではなく、脱脂粉乳から牛乳に何故学校給食が切り替わったのか知っていれば、輸入食材の危険性は誰もが知っていながら、誰もが安く身体に害を及ぼすものを毎日食べているのは百も承知の事であり、その被害をまともに受けたのが、体内にいた子供達で、食物アレルギーの問題はこの国の無責任な行政施策から起こっているのに、誰も怒らないという不思議さがこの国にはある。

映画は農薬を使わない農業に取り組む農家の息子と引きこもりの女の子の出逢いから物語は始まる。

「歩くような速さで」それは「歩くような速さ」を覚えていることであり、「歩くような速さで」呼吸することである。

農村の風になびく稲の旋律のにように、生きる速さを見直す事が大切なのだと映画は語る。

2010-10-15

修理ですか?点検ですか? Is it a check or a repair?

秋の深まりの早さに戸惑いつつ、急に厳しく朝晩の冷え込みに、家にいる母にストーブの試し焚きをするように急かしていたら、昨晩、母が心細げに「ストーブの火のつきが悪い」と話してきた。

予定が何もなかったので、今朝、灯油を配達して貰っている会社に「灯油の出が悪く、見て欲しい」と電話すると、オペレーターの女の子が「修理ですか?点検ですか?」と聴いてくる。壊れているのかどうかも判らないから電話しているのに。。

ストーブの型番を聴かれ、答えると、「今日中の方がいいですか?明日でもいいですか?」と聴いてきて、雨が降り、寒い時に電話しているこちらへの配慮のなさに、イラッとする。

昼頃、連絡を受けた修理屋さんが来てくれ、また事務的なのかなと思いきや、状況を聴いて、「まずは調べてみますね」とストーブを開けて見てくれ、結局、分解掃除で、不完全燃焼で溜まったススを取り除いてくれて、ストーブのトラブルは解決した。

油量調整の器具の交換とかになったら、痛い出費と思っていたから、分解掃除一万円弱は大助かりで、週末寒くなるといわれているだけに、心細げの母も一安心した様子。

修理屋さんに、「たまにでいいですから、ファンの綿ゴミをとって下さいね」といわれ、ストーブの恩恵に甘えていて、掃除も何もしない事に恥じ入るばかりだった。

昼から家を出て、疲れを癒しに行った風呂屋で、「円高なのに、灯油はさっぱり下がらない」とこぼす小父さん達の話を耳にし、そういえばそうだなぁと自分の疎さを思い知る。

帰宅後、自分の部屋の冬支度を少し始め、月日の流れを思い返す。

「修理ですか?点検ですか?」自分の身体も云われないようにしなくちゃね。

2010-10-13

教育とはなんだ The education is what.

「共働きで子どもを預けているのに危なくてしょうがない。ちゃんと見張ってほしい。役立たずの年寄りがごろごろしているんだから、そういうことをやらせればいい。年寄りは我々に食わしてもらってるんだから」

重松清編纂したインタビュー集「教育とはなんだ」の末尾、補習的な形で、文庫化に際し、加えられた「教育改革とはなんだ」の中で、大阪の池田小学校の事件の際、ラジオ番組に投稿された東京都民の声らしい。

日本の「教育とはなんだ」はこれに尽きるんじゃないの?「教育」に子育てを任せるしかない家庭環境に、地域の事件なのに学校の問題にすり替える世間、目上の人たちへの敬意の意識もなく、道具のように言い放つ子育て世代。

教育論とは、授業とは、学校とは、教育の隙間とは、教師とは、卒業後に待つものとは、多角的に教育の現場を探る授業を重松清と共に受ける形のこの本は、様々な教育現場の問題を提示する。

「ゆとり」の名の下に、教えられなくなった教科の問題、男女同権時代に生き残った「家庭科」秘話、特定の年代が極端に多いいびつな年齢構成をする教職員たちと「私たちの子どもの頃に比べれば」という時代錯誤を引きずる親御さん達、障がい者教育も蚊帳の外にしてしまった「普通学校」におけるアレルギー引きこもりなど病弱な子供達をサポート出来ない学校システム、「科学」はともかく、「文部」という古めかしい名称を冠する文部科学省だけではどうすることも出来ない縦割り管轄下にある子供達の生活様式の変化などなど。

それは「教育」が「学校」だけでなされるものという価値から来るからとする「教育改革」の真意とされる「生涯学習」への移行がうまくなされなかったお話に繋がる。

「education」は「伝える」意味であるのに、「教育」と訳された日本では、一番大切な「生きてきた」事を伝える場ではなく、「教え育てる」暗記術がメインとなってしまい、「判る」事が大切なこととされてしまったと幾人かの論者は語る。

「安易で浅薄な「わかる」よりも、もっと大切な「わからない」があるはずだ、と。「わからない」の尊さや魅力を知ることも、「教育」の大きな役目の一つなんだ、と。」

あとがきで重松清はこう結ぶ。

教壇に立つことにより、「わからない」を云えなくなる教師達のプレッシャーと「わかる」事を尊ばれ、「わからない」は禁句にされてしまう子供達は、「わからない」まま大人になり、親になったのじゃないだろうか。

子供達の中で転んだ友だちにどう手を貸せばいいのか「わからない」子が増えていると聴く。もしかしたら、転んだ隣人にどう手を貸せばいいのか「わからない」大人も増えているのかも知れない。

この本の初版の時、中学だった子達は今、大学生として、うちの職場にもアルバイトとして来ている。けれど、「教育論」は「今の子どもは」のまま。始めの聴くに堪えない子育て世代の大人の「教育」は語られない。「知らぬは末代の恥」なのにね。

2010-10-12

ユニバーサルデザインの公園づくり Park-making of universal design

うちの近所の小さな公園が囲いが施され、その前に「ユニバーサルデザインの公園づくり事業」なる看板が掲げられていた。

公園のユニバーサルデザインってなんだろうといろいろ思いを巡らせ、子供たちがぶつかっても怪我をしない遊具やみんながくつろげるベンチなどを配置するのかなと思い、ネットで検索すると、札幌市のユニバーサルデザインの公園づくり事業は、「出入口の整備や園路の段差解消・手摺の設置、ベンチなどの休憩施設、身障者対応型トイレの新設・改築などを行う。」としている。

検索結果で「みんなのユニバーサルデザインの公園」なるサイトがあることも知り、観てみると、車いすで遊べる遊具の設計や高さに配慮した水飲み場なども紹介されており、究極のユニバーサルデザインは緑に囲まれたくつろぎの空間であるといっているサイトもある。

そして、ユニバーサルデザインからユニバーサルシステムへの移行を求める声も聞かれ、ユニバーサルの解釈の深まりが感じられた。

読んでいる「教育とはなんだ」でも、マイノリティを認めていかなければ、学級崩壊学校崩壊、地域崩壊家庭崩壊加速していくだろうとする意見もあり、何を持ってマイノリティなのかよりも、個々人の縛りをなくすことがマイノリティなのじゃないかというような話も出てきていた。

社会が個々人を縛らずに個々人の個性を伸ばせる環境が「ユニバーサルデザイン」なのかも知れないと思った。

札幌の街中では今、ユニバーサルデザインの舗道の改装工事も行われており、「ユニバーサルデザイン」流行のご時世、「ユニバーサルデザイン」のコンセプトを知ることが大切なんじゃないかと感じたりもする。

2010-10-11

いつくしみ深き What A Friend We Have In Jesus

先週末の金曜日、初めての教会のお葬式に参列し、仏前とは異なるお葬式を体験した。

参列した信者さんたちがパイプオルガンの奏でる讃美歌を歌い、聖書の一節が読み上げられる、けして裕福とは云えない教会の中で厳かに行われる儀式が、よく映画に観る教会のお葬式を思い出させ、親近感を持つことが出来た。

友だちお母さんの遺影が正面に飾られ、その遺影を眺め、式の進行に身をゆだねていると、聞き覚えのある讃美歌「いつくしみ深き」が歌われ、不意に涙があふれ出した。

ラーメン屋を営み、食べに行くといつもサービス大盛りにしてくれたり、飲み物をおまけしてくれ、友達に電話すると、間をつなぐ間、こちらの身体を気遣ってくれる友だちのお母さんの想い出が蘇り、発病から数ヶ月の早さで亡くなった無念を思いやった。

いつくしみ深き 友なるイエスは
かわらぬ愛もて 導きたもう
世の友われらを 棄て去るときも
祈りにこたえて いたわりたまわん

2010-10-08

胸が痛む The heart is pained.

週末、銭湯からあがった時に左の脇腹に軽い痛みを感じ始め、ここ数日、その痛みが強くなっているのが気になり、昨日、肝炎で通院している病院に検査して貰いに行ってきた。

肝炎の診断を受けた時に、膵臓脾臓ダメージ受けていると云われたこともあり、場所が場所だけに、心配していたのだが、血液検査エコー検査も異常なし。

膵臓、脾臓の治療は絶食治療だとネットで書かれていたから、そうならずに済んだとホッとする反面、じゃ、この痛みはなんなのとまた気がかりが増えてくる。

筋肉痛?神経痛?そういえばこの頃、肩の凝りが更にひどくなっている。

無理せず、少し休養すべしと云うシグナルなのかなと思っていると、友人のお母さんの訃報を聴く。

お世話になったお母さんが末期ガンで闘病生活を送っているのは聴いていたけど、これもまたなんかの戒めなのかなと思ったりする。

まずは亡くなられた友人のお母さんの弔いに参列しよう。

命短し、恋せよ、乙女

2010-10-05

デリケート delicate

銭湯で、何かの後遺症を持つお爺ちゃんが、店員のおばちゃんに、このところの日中の気温差が激しい状況に「俺はデリケートだから、きつい」と喋っていた。

そうだよね。人間はデリケートな生き物だよね。無粋な「障がい」云々というより、デリケートという方が、ナチュラルだよね。

今、読んでいる重松清インタビュー集「教育とはなんだ」で、学校は、「元気で朗らか」でなければならない場所で、教師が教壇に立つと判らないは禁じられ、障がいを持った生徒は社会的に認められつつあるものの、病弱な生徒に対する対応はほとんど皆無で、「保健室登校」は嫌われるらしく、一息つけるレストルームの必要性が語られている箇所がある。

元々、日本は風情を重んじる国であるはずなのに、近代化象徴であった学校は「元気で朗らか」という生き物感覚を失った社会適応のみを重んじるところだったのかと思っている。

そんな教育を受けて、育った社会だから、「元気で朗らか」が重宝され、障がい者、病弱者、高齢者への配慮が苦手な世の中なのだろう。

「俺はデリケートだから」人権宣言って、案外こんなところにあるのかも知れない。

2010-10-04

超高齢化時代 Super-aging age

今年も残すところ3ヶ月となり、健康増進法とかで、禁煙対策に追われつつ、組合役員をしていた都合、うちの職場の人員構成を何げにチェックしてみると、来年には60歳未満のレギュラー雇用が100人を割る年で、60歳越えた再雇用延長組が80人を越える高齢化社会になる事を知った。

更に再来年からはこの比率が逆転して、超高齢化時代を迎えることになり、雇用止めである65歳になるいわゆる団塊の世代がどんどん辞めていき、一気に少子化時代が露呈していく。

長引く不景気で、新規雇用をせずに、パートタイマーで経費を抑えてきたつけが吹き出してくる形なのだけれども、高齢化の恐ろしいところは、当の自分の廻りの環境が自分と共に高齢化しているから、気付きにくいと云うところ。

「みんなで年取りゃ怖くない」が最悪の社会環境に向かっていると危惧する危機感の喪失が恐ろしいのだろうし、日本人は良くも悪くも勤勉実直であるが故に、自分の老いた時の社会風景想像出来ないのだろう。

今は老いと若きが繰り広げるイス取りゲームであったとしても、老いていく者はやがてはイス取りゲームから降りて、若き者の世話にならなければならない時が来る。そんな当たり前の備えを出来なくする時代を我々は一生懸命作っているのだろう。

「年を取るのは素敵なことです。そうじゃないですか?」

中島みゆきの「傾斜」の歌詞が口をついて出てくる。

2010-10-02

改正版JISの達成基準と実装方法 Attainment criterion and packaging method of revision version JIS

お江戸の真ん中、新宿で、11月8日(月曜)の昼日中に、「改正版JISの達成基準と実装方法」と題する副題Webアクセシビリティの新規格「JIS X 8341-3:2010」を徹底解説するイベントがあるそうで、お代は4,500円もするそうな。

花の都のバベルの塔、都庁のお膝元でやるからにゃ、人が集まらなきゃ笑われるだろうなぁ。

それににしても講師をする植木さん、プロモーション・ビデオで「高齢者・障害者への配慮」とする新規格「JIS X 8341-3:2010」の理念をひと言も喋らないのも凄いよなぁ。

加齢障害、一時障害で、障がい者は誰にでもなり得ることという一番煙たがられる話はされるのかな?

そうそう、先日、子供の時から視力数値が低い職場の小母ちゃんが、「なんで視力の弱い人は障害者助成の適用にならないのだろう?」話されていた。

度の高いメガネコンタクトの出費はかなりきついらしく、視力障害認定は確か全盲、もしくは片目失明のみのはず。

この国の社会的障害に泣く人はもっと怒っていいと思うけど。

それにしても、このアクセシビリティセミナーは値段的にノン・アクセシブルだよな。まぁ、セミナーすら行われない政令指定都市よりはマシだろうけど。

至るところに社会的障害はあるんだよね。