2007-10-03

歴史観のない社会 Society where historical view doesn't exist

たかだか60数年前の沖縄戦の集団自決が日本軍の強制があったどうかの話に慎重姿勢になる国の弱腰にただただあきれます。

森達也『放送禁止歌』ドキュメンタリー

この番組など見ると、面倒な外圧を避けたい事なかれ主義が『放送禁止歌』の背景であり、言論弾圧ではなく、言論自粛が『放送禁止歌』を生み出したと言う事が判るのだけれども、教科書検定も特定の団体から圧力を恐れてか、それとも特定の団体のお抱え学者が封印役を務めただけだろう。

そして、その根底には利害関係にうごめく国政が日本の歴史認識を示さなかった戦後史があり、また、1960年代に世界的に巻き起こった文化再発見のフォークブームが日本では文化再発見に飛び火しない四畳半フォークブームになってしまった「歴史の喪失」と合い重なり、歴史観のない社会を作り出したのだろう。

強制のない集団自決こそ、国家の喪失という恥なのに、国家の恥より日本軍の恥を重んじるこの国のフィクサー(黒幕)たちは芯から亡国の輩たちでもあるだろう。

誠実な人柄が買われ、戦意高揚の名作映画『五人の斥候兵』『土と兵隊』『海軍』を撮り、ヒロシマ被爆で、「被爆した者の気持ちはわからない」と一貫して口を閉ざした田坂具隆の戦争映画は、男たちが子宮の中の精子のように、目的達成のためだけに生きていたし、手塚治虫の「ジャングル大帝」の元となったといわれる南方戦線での平和祈願を描いたアニメ『海の神兵』は東南アジアにおける母国語を棄てさせ、日本語教育がなされた様が描かれている。

日本が何をしたか、その当時の映画、音楽、文学を見聞きすれば判る事なのに、あえて、それを封印する言論自粛が「中立公正な判断必要」を疎外しているのだろう。

桃太郎 海の神兵 1945

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