先週だったか、仕事帰りに街を歩いていると、札幌でも一番大きなホールを持つ厚生年金会館の前で、なにやらビラ配りをしている連中がいた。年の頃なら、僕より少し若い40代だろうか。その傍らには宣伝カーが止められ、拡声器を使い、何かを訴えている奴もいた。
組合系の集会なんだろうなぁと通り過ぎようとした僕の目に、「革マル派」というほとんど死語と思っていた文字が眼に飛びこみ、通り過ぎようとしていた足を引き返し、固定観念しかない「革マル派」とはなんぞやと物好きにも配られているビラを貰ってみた。ビラを貰うと配っていた人は嬉しそうに手渡した。
「日本革命的共産主義者同盟 革命的マルクス主義派」というのが正式名称なのかと、ビラを読み、知り、ホームページもある事を知った。
ビラの内容は「対資本家」を基調としたもので、「大量解雇・賃下げ攻撃」を受け入れ、春闘を戦おうとする連合に対しても批判の矛先を向け、搾取されるなと訴えながらも、賃金闘争から抜け出ていなく、なぜ、賃金よりも生活基盤の支えとして重要な社会福祉の拡充を訴えないのか、不思議であった。
結局、70年安保で世論の注目を浴びた全学連や革マル派なども結局は我が身の賃金闘争しかしてこなかったんじゃないかと思う。
今の社会は70年前後、大量に成人を迎えた団塊の世代のために築かれた雇用先や賃金確保、社会保障で成り立っていると云われるけれど、いざ定年間近の今となり、我が身の賃金闘争に終始しているだけじゃないかとも思う。
団塊ジュニアの格差社会、ワーキングプア、リストラ合理化、地域医療崩壊などなど社会問題は山ほどあるのに、相も変わらぬ「対資本家」レベルの闘争を札幌でも一番大きなホールを持つ厚生年金会館で集会を行うプチブル化した革マル派に日本の「サヨク」の限界を感じた。
この国には「コミュニティ」も「共産思想」も存在しない。「革命」でもない、「革命的」な活動しかない。ちょうどその時、読んでいたチェ・ゲバラの「革命戦争回顧録」に展開される闘争論が、無造作に投げ捨てたゴミにより、空爆されたなどの自らの失敗から学ぼうとする経営理論とも言えそうな「革命戦争回顧」に比べれば、幼稚であり、自己満足でしかなく、社会価値そのものの変革など望んでもいなかったのだろう。
安全保障から賃金闘争へ向かう流れに死角があると動き始めた被差別である部落解放、障害者解放、公害訴訟が貧しいながらも社会保障を確立させた日本社会は、それでも「人間らしく」生きる事を「働く」事にしてしまった。「対資本家」と「賃金闘争」の狭間にあり、軽んじられた「社会保障」こそ「人間らしく」生きる事なのに。
「大量解雇・賃下げ攻撃」は実行され、団塊の世代が社会戦士から身体の自由がきかなくなる高齢福祉にお世話になろうとするこの時代、今後の日本は「置き去りにされた福祉」が問われることになるだろう。
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