2009-03-31

雨合羽 Raincoat

明日から四月というのに、しぶとく寒気が居座っているようで、時雨模様の天気が続くこの頃。

冬の厚手のジャンパーを脱ぐ頃合いでもあるはずなのに、街行く人もいつまでも冬物を着る人と春物を着る人が混じり合っている。

僕も週末から思い切って、冬物のジャンパーからフリースに衣替えしたものの仕事帰りの夕方になると時雨れて、風も強くなり、寒い思いをしている。

このところの雨や雪は風が強くて、傘も差せない時が多いので、100円ショップで見つけたビニール製の雨合羽を試しに買ってみた。

さすがに100円だけあって、使う身への配慮はなされておらず、裾の長いものは雨に濡れないように手を入れるポケットがなかったり、ポケットがあるものは昔流行ったヤッケタイプで、お腹のあたりにあるポケットは左右繋がっており、必然的に合羽をかぶるタイプになっていて、雨に濡れている時の着脱が大変でもある。

昔はそれほど多くなかったビルが建ち並ぶ街中、ビル風ですぐに壊されてしまう雨傘を差すよりも、雨合羽の方が動きやすく重宝すると思うのだけど、なかなか使い勝手のよい物に巡り会えない。というより、雨合羽を売っているところってどこなんだろうと100円ショップ以外どこを探しても見当たらない状況に困惑している。

ネットではそれなりのキーワードで検索すれば見つかるけれども、雨合羽の作りを細かく書き記したところはなく、現物を手に取りが理想であるはずなのに。

気候不順が今の気づかぬ不便さを教えてくれている。

2009-03-29

本半額 Half the price of book

BOOKOFFの札幌南2条店で今週末の土日である昨日と今日、本半額のセールが行われており、今、はまっている重松清さんの文庫本をまとめ買いしてしまった。

重松清さんは今が旬のようで、ネットオークションでも競り合っていたりもし、なかなか安価で買い揃えにくく、送料がかからず、現物チェックも可能なショップで安く買えるこの機会は大変有難い。

仕事後、BOOKOFF札幌南2条店に行くと、職場の女性とばったり出逢い、その人もお目当ての文庫本を抱え込み、嬉しそうにしている。重松さんにはまっている話をすると「私も何冊か読んだ」とちょっと盛り上がりもする。

重松さんの文庫が並ぶ棚に行くと学生風の若者たちがやはり何冊かまとめ買いをしており、お目当てだった「疾走」上下二巻が先を越され、棚からなくなっていたけれども、まとめ買いで読み切れるか、迷い、結局、「疾走」上下二巻を棚に戻したので、幸運なるかなゲット出来た。

読み切れるかどうかを考えず、欲しい物は揃えたくなる困った性格でもある自分は格安の重松清の文庫本を数冊抱え、ご満悦。

これで一年は読む物に困らないはずではあるけれども、文庫だけでも60冊くらいある重松清作品を揃えたい欲求に駆られ、しばらくは古本捜しをするだろう。

とりあえず、ゲットした中から「きよしこ」に続き、「愛妻日記」を読み更けてはいるけれども。

2009-03-28

音と言葉 Ton und Wort

戦時中のベルリン・フィルの監督指揮者フルトヴェングラーが演奏指揮を終え、興奮状態にある時、ナチスのゲッペルス宣伝大臣が客席から握手を求め、それに応えて手を握りあう有名な瞬間、反ナチの愛国者フルトヴェングラーはナチズムに利用された。

創立125周年を迎えたベルリン・フィルの最も苦難な時代を記録したドキュメント映画「帝国オーケストラ」には、その場面もきちんと織り込まれていた。

映画はフルトヴェングラーの最も得意としたベートーヴェンの交響曲第五番「運命」第三楽章の不安定な旋律が繰り返し流され、第四楽章の歓喜の解放へと至る直前で終わってしまう暗示的な音楽の使われ方がなされ、政治が文化を支配した時代の今日性を強く映し出す。

ヒトラーが国民の支持の元、政権を握り、ベルリン・フィルは次第次第に政治利用されていく様が当時の楽団員たちの証言から明らかにされていくこの映画の中で、1934年にナチスが「退廃芸術家」と指名したヒンデミットの新作オペラ「画家マティス」のベルリン国立歌劇場での初演を禁じたことに抗議した事から始まるヒンデミット事件でナチスと対立したフルトヴェングラーは亡命という道を選ばずに、ベルリン・フィルの監督の座に留まる事により、ナチズム全体主義と闘おうとしたけれども、ユダヤ人排斥命令、世界にナチズムのナショナリズムを誇るベルリン・オリンピックでの演奏などベルリン・フィルに対するナチスの政治利用はエスカレートとしていく。

フルトヴェングラーはウィーン・フィルにて戦時中、交響曲「英雄」を指揮し、ヒトラー自決時にはフルトヴェングラー指揮によるワーグナーの「ジークフリートの葬送行進曲」がベルリン市内に流されもしたが、「非ナチ化」裁判の無罪判決をうけ、戦後復帰公演では交響曲「運命」を演奏し、1951年、バイロイト音楽祭再開記念演奏会で交響曲「合唱」を指揮する。

そのフルトヴェングラーがベルリン・フィルの音楽監督の時、楽員の安全を守るため、どれほど尽力尽くしたか、映画は語られるが、ナチズムと生きた帝国オーケストラというレッテルも根強くあった事が示される。

元楽員たちは政治への無関心を語り、同じ楽員にいたナチス党員との関わりを語るけれども、ささやかな抵抗は圧倒的な大衆の集団的狂気の前には、意味を成さなかった。

純粋に国家を愛し、音楽を政治利用しようとするナチスに抵抗し続けたフルトヴェングラーも敗戦間際、身の危険を感じ、スイスに亡命せざる終えなく、残った楽員たちも生死の狭間をさまよった。

楽員の兵役免除を信じて貰えず、ソ連軍に殺された者、進駐してきたアメリカ軍に家を追われた者、日本に亡命し、生涯帰国が果たせなかった者。国を愛し、音楽を愛し、ベルリン・フィルを守ろうとした者たちの裏目続きの人生がこのオーケストラの歴史にはある。

晩年、フルトヴェングラーが書いた書籍に「音と言葉」というものがあるのを、この記事を書く上で調べていて、知った。

その中に最晩年書き残したという「偉大さはすべて単純である」というものがある事を知った。

単純であるが故に苦難な日々を過ごした人々、それは例えば日本における伊丹万作の戦時中に書かれたという「戦争中止を望む」でもあるのだろう。流された事への悔やみが大きいほどに払った代償はいつの世も大きいのだろう。

2009-03-26

耳あか掃除 Cerumen cleaning

また、耳あかが詰まり、病院へ。

昔の日記を紐解くと、2007年7月21日に「耳垢」の日記があり、やはり今と同じく右耳が詰まっていたらしい。

肩こり、目の疲れ、慢性鼻炎なども影響するのかなとも思い、職場近くの病院に行ってみる。

春休みのせいか、病院は子供たちで一杯で、しばらく待たされた後、診察へ。

診察結果はいつもと同じく耳掃除で耳あかを奥に押しやり、詰まらせたとのことで、簡単な掃除をした後、耳あかを溶かす薬が出され、再度来院するようとのこと。

明日は仕事休みだけれど、その後は週末になってしまうから、再通院は明日しかないのかな。

数年に一度の通院だけど、耳あか掃除のやっかいさが嫌になる。

2009-03-25

年度替わり Replacement in fiscal year

三月も末になろうというのに、さっぱり春めいてこない。けれど、時は否応なく流れて、年度末と年度始めの用事が積もり積もって、気ぜわしい。

特に平日と週末、それぞれの仕事を持つ身である身の上、平日の仕事後、銭湯でのくつろぎの合間にも週末の職場の春のレクレーションの下準備で電話連絡などがあり、何となく落ち着けない。

そうかと思うと、平日の職場のミーティングが今日明日続けて行われ、気が重い。

年度変わる前に片付けたい問題の話し合いなのだけれども、連日はちょっとね。

これを乗り切れば、とも思うけれども、新年度になるとまたいろいろありそうだし、せめて仕事後はのんびり放心状態になりたいなぁ、とぼやく季節は春なのかも。

2009-03-24

きよしこ Kiyoshiko

重松清「きよしこ」を読み始めた。重松さんの子供の頃のお話をモチーフにしたのだろう。

言葉がうまく喋れなく、親の都合で転校を繰り返し、行く先々のクラスメートと仲良くなりたくても、言葉がうまく喋れないから、仲間はずれにされるされる少年。

同じように言葉がうまく喋れない事はいけない事なんだ、気をつけて、焦らずに喋れば、喋られる、人間に克服できないことはないと思いこまされた自分の少年時代が「きよしこ」とだぶってくる。

きよしが大人の嘘を見抜く過程と僕が大人の嘘を見抜く過程はまったく違うプロセスを辿ったけれども、人間に克服できないことはないという大人の欺瞞に満ちた嘘など信じないようになった結果は同じなんだろう。

うまく喋れない事を注意する大人たちは喋れたって、人の話を自分の都合のいいように解釈するのを重松さんも僕も嫌と云うほど見てきている。喋れない、聴きづらい事が嫌なのであって、喋れたとしたって、聞きやすかったとしたって、人の話はただ自分の論理の中に利用し、埋没させてしまうだけ。

重松さんは転校という形で、「仲良くしなさい」という言葉のもろさを知ったのだろうし、僕の方は母親の病死で、人間に克服できないことはないという嘘を知った。

僕らが言葉に悩まされた時はほとんど同じ時期だったらしく、1970年前後、何故かこの国では「吃音」「どもり」を克服しようとする広告があふれ、それにまつわる映画も作られもした。

森崎東監督の「女生きてます 盛り場渡り鳥」もその一本で、僕も後年、東京に行った時に、横浜の場末の映画館でやっているのを知り、観に行った記憶がある。

映画の中で、山崎努演じる吃音者の労務者が云いたい事を思うように言えず、家中の物を壊しまくる場面に、喋れる者として、共感の涙を流したけれども、重松清「きよしこ」の中でも「乗り換え案内」に出てくる少年は吃音治療のセミナーの先生の無理解な言葉に、机を揺らし、音を立てる。喋れない者は物に自分の気持ちを託し、きしむ音、壊れる音を悲鳴にさせる。

喋れる者は言葉の重みをおそらくは知らないだろう。喋れない者は言葉にこだわされる分だけ言葉の重みを知っている。

連作短編集「青い鳥」の村内先生もそんな子供時代を過ごし、今もなお言葉がうまく喋れないから「大切な事しか云わない」のだろう。

言葉にこだわった子供時代を過ごした僕も、吃音者の犯罪を描いた三島由紀夫原作の「金閣寺」の映画化作品「炎上」で自主上映の世界と巡り会い、水上勉原作の「五番町夕霧楼」映画化作品の上映を企画もし、吃音へのこだわりは抜けずに今なお続く。

喋れる事のありがたさは喋れない、喋れなくなった者でなければ判らないのなら、喋る事は無駄な労力なのかも知れないのに。

黒人奴隷が無言の会話、タップダンスを生み出したように言葉奪われた者たちの歴史に僕が興味抱くのもおそらくは吃音者なのだからだろう。

2009-03-22

高校野球 High school baseball

職場の元気かあさんの息子が鵡川高校の野球部だそうで、今、甲子園とか。

お母さんも仕事終わった後、息子の晴れ舞台を応援しに、甲子園に行くようで、人ごとながら、応援したくなってくる。

応援しなきゃ「非国民」的な気色悪いWBCなんかどうでもいいけれど、わが郷土、わが知り合いの息子へのエールはためらうことなく送りたい。

道産子、頑張れ!北海道、バンザイ!

2009-03-21

ひとりぼっちになりたくないから嘘をつく He tells a lie because he doesn't want to become solitary.

メーテルリンクの「青い鳥」の結末はびっくりするほど身近にいた青い鳥が鳥かごから抜け出し、飛び立ってしまい、チルチルとミチルのそばには空っぽの鳥かごが残るというもの。その物語をタイトルにした連作短編集「青い鳥」は、いじめ、自殺、学級崩壊、児童虐待、様々な場面の子供たちのそばにいてあげる村内先生を子供の側から描いた八つのお話。

「みんながみんな、みんなのかな?それぞれ違うんじゃないか?」
(拝啓ねずみ大王さま)

「たいせつなことと、正しいことって、違うんですか?」
(進路は北へ)

画一化されまいとあがく子供たちはひとりぼっちになりたくないから嘘をつき、自分を傷つけていく。

最後の話、「カッコウの卵」はカッコウの卵のように産み棄てられ、大人になり、一緒に暮らすようになった恋人の話。

産まれてこなければよかったのにと罵声を浴び、育ったふたりは施設で出逢い、駆け落ちする。

男の方は一時、施設から再婚した父親に引き取られ、中学に通うけれども、継母になじられ、父親から折檻を受けるけれども、学校ではその境遇を知られまいと虚栄を張り、嘘をつき続けた過去がある。

その時、そばにいてくれた村内先生を街中で見かけ、俺もこんな所帯を持ってやっていると知って貰いたくて、先生の通う学校を探し回る。

やっと逢えた時、工場作業着姿の男は不審人物として、その学校の先生に尋問を受ける。

「ひとりぼっちになりたくないから嘘をつくんです。嘘は、悪い事じゃなくて、寂しい事なんですよ。」

村内先生はただそばにいて、話を聴いてくれた。男は彼を恩師と呼ぶ。

「あのなぁ、人間はなぁ、大人になる前に、下の名前で、たっ、たくさん呼ばれなきゃいけないんだ。下の名前で呼んでくれるひとが、そばにいなきゃいけないんだ。」

再会した時、男は虚栄も何もかも棄てて、幼子になったように泣きじゃくる。

「間に合ってよかった。」

村内先生の口癖は「助ける」でも、「救う」でもなく、「間に合ってよかった。」

この作品集の子供たちはそれぞれそばにいてくれた人を思い返し、大人になるのだろう。

村内先生の更なるお話を読みたくて、作家、重松清さんの本を物色し始める「僕の青い鳥」。

2009-03-20

なごり雪 Vestigial snow

仕事休みの度の映画館通いも何となくせっかくの休みがもったいなく感じられ、今日は昼からウィンドウショッピングとしゃれ込んでみた。

晴れている割には風が冷たくて強く、まだまだ冬の身支度が欠かせないなぁと思い、重装備で、JR札幌駅周辺へ行く。

外は小雪が舞い始め、祝日でにぎわう大型家電店では、女の子たちが、外の景色を見て、「なごり雪だね」とつぶやいたりしている。

かと思うと、空はたちまち重い曇天に変わり、あっという間に大粒のあられが激しく降り出し、風も強さを増して、道路向かいのビルも雪で霞んで見える大荒れに。

自然は人の会話を盗み聞き、望まぬ事を見せてくれる。

来週も気温の低い状態が続くようで、春のジャケットを着るのはまだ先になりそうだ。

2009-03-19

革マル派 Kakumaruha

先週だったか、仕事帰りに街を歩いていると、札幌でも一番大きなホールを持つ厚生年金会館の前で、なにやらビラ配りをしている連中がいた。年の頃なら、僕より少し若い40代だろうか。その傍らには宣伝カーが止められ、拡声器を使い、何かを訴えている奴もいた。

組合系の集会なんだろうなぁと通り過ぎようとした僕の目に、「革マル派」というほとんど死語と思っていた文字が眼に飛びこみ、通り過ぎようとしていた足を引き返し、固定観念しかない「革マル派」とはなんぞやと物好きにも配られているビラを貰ってみた。ビラを貰うと配っていた人は嬉しそうに手渡した。

「日本革命的共産主義者同盟 革命的マルクス主義派」というのが正式名称なのかと、ビラを読み、知り、ホームページもある事を知った。

ビラの内容は「対資本家」を基調としたもので、「大量解雇・賃下げ攻撃」を受け入れ、春闘を戦おうとする連合に対しても批判の矛先を向け、搾取されるなと訴えながらも、賃金闘争から抜け出ていなく、なぜ、賃金よりも生活基盤の支えとして重要な社会福祉の拡充を訴えないのか、不思議であった。

結局、70年安保で世論の注目を浴びた全学連や革マル派なども結局は我が身の賃金闘争しかしてこなかったんじゃないかと思う。

今の社会は70年前後、大量に成人を迎えた団塊の世代のために築かれた雇用先や賃金確保、社会保障で成り立っていると云われるけれど、いざ定年間近の今となり、我が身の賃金闘争に終始しているだけじゃないかとも思う。

団塊ジュニアの格差社会、ワーキングプア、リストラ合理化、地域医療崩壊などなど社会問題は山ほどあるのに、相も変わらぬ「対資本家」レベルの闘争を札幌でも一番大きなホールを持つ厚生年金会館で集会を行うプチブル化した革マル派に日本の「サヨク」の限界を感じた。

この国には「コミュニティ」も「共産思想」も存在しない。「革命」でもない、「革命的」な活動しかない。ちょうどその時、読んでいたチェ・ゲバラの「革命戦争回顧録」に展開される闘争論が、無造作に投げ捨てたゴミにより、空爆されたなどの自らの失敗から学ぼうとする経営理論とも言えそうな「革命戦争回顧」に比べれば、幼稚であり、自己満足でしかなく、社会価値そのものの変革など望んでもいなかったのだろう。

安全保障から賃金闘争へ向かう流れに死角があると動き始めた被差別である部落解放、障害者解放、公害訴訟が貧しいながらも社会保障を確立させた日本社会は、それでも「人間らしく」生きる事を「働く」事にしてしまった。「対資本家」と「賃金闘争」の狭間にあり、軽んじられた「社会保障」こそ「人間らしく」生きる事なのに。

「大量解雇・賃下げ攻撃」は実行され、団塊の世代が社会戦士から身体の自由がきかなくなる高齢福祉にお世話になろうとするこの時代、今後の日本は「置き去りにされた福祉」が問われることになるだろう。


ビラ : ソマリア沖への海自衛隊の派兵阻止!「海賊新法制定反対」


ビラ : 麻生"臨死"政権打倒に決起せよ!


ビラ : 大量解雇・賃下げ攻撃を打ち砕け!09春闘勝利!

2009-03-18

真相・人の物は The truth,Person's thing

先日書いた洗面用具からシャンプー、リンスが盗まれかけたという「人の物は」のお話。その後、その銭湯に行くと、新たな張り紙がされていて、「洗面用具などにロッカーキーを入れていて、盗まれるケースも発生してます」との注意書きがされていた。

もしかすると、あの時のお兄ちゃんもこのたぐいの「物色」をしていたのだろうか?

この銭湯、脱衣室のかごの中の盗難で、警察が現場検証をしに来ていたこともあり、なんだか物騒な感じがして、この頃は足が遠のきがち。

世知がない世の中が身にしみる。

2009-03-17

朝靄煙る Morning haze smoke

朝靄煙る暖かな朝、家の前の雪山もかなり溶け出し、雪割りのスコップを入れるとすぐに崩れるようになってきた。

暖かさで身体もほぐれたのか、空咳が出る。溜まっていた疲れもこの陽気でイエロー・カードを出しているのだろうか?

出勤前に雪割りを少ししようかとも思うけれども、無理は禁物と教えているのかも知れない。

明日は雨とのことで、雪割りしなければ歩くのも苦労するのにと迷う朝。

2009-03-16

ハンカチ Handkerchief

重松清さんの連作短編集「青い鳥」の中の「ハンカチ」を職場の待機時間に読む。

思わず声をあげ、泣きそうになったので、慌てて本から目を離し、涙をこらえる。

他の子をからかい、あだ名を付けるのが得意な明るい子が「いじめ」たとして、反省文を書かされ、みんなの前で読み上げる事を強要された時、人前で話せなくなった。そんな女の子とどもる教師、村内先生の交流記。

いじめって何だろう。生きるって何だろう。

その学校で頸動脈を切り、死んだ子を二人は想い、「君にあえたから、間に合ったからよかった」と語り合う。

手本のようにじゃなくて、私らしく、あなたらしくあろうとする生徒と教師。

幼い頃、小学校の先生は授業参観の国語の時間、言葉をうまく喋れない僕にみんなの前で朗読をさせた記憶が蘇る。おそらく今なら、父兄のつるし上げを喰らう行為なのだろう。けれども、僕はクラスの誰からもいじめられなかった。今だといじめられるのだろう。

私らしく、あなたらしくより、手本のようになることを強要される子供たち。

声が出せなくて、ハンカチを握りしめる女の子の励みは僕が小学校の先生に思ったのと同じく、自分を意識してくれる先生だった。だから、頸動脈を切らずに、今があるのかもと僕も思ったのかも知れない。

2009-03-15

青い鳥 Blue bird

映画『青い鳥』を観て、いいんだけど何かつかえるものがあり、図書館より借りて重松清の原作と読み比べてみた。

原作にはなくて映画にはあるものと、映画にはなくて原作にあるもの。それはいじめが起こり、一人の生徒が自殺未遂をして、転校していったある学校の一クラスにやってきた言葉がうまく喋れない代用教員という設定の物語の中で、微妙にニュアンスを変えていた。

「先生はどっ、どどどっ、どどどもります。でで…も、本気で、しゃべります。」

うまく喋れない先生はそうしゃべり、クラスの担任を受け持つようになり、「罰」を受けたクラスの子供たちと向き合う。

「誰かを嫌うのも、いじめになるんですか?」

「事件」の後、対処策として、学校側が生徒に命じた悩みの投書箱「青い鳥BOX」に投函されたひとつの問いかけが、この物語の語り部である園部君の気持ちを揺さぶり、指導部の先生とぶつかる。

「じゃあ、先生には、嫌いな人はいないんですか?生徒以外だったら?おとなの中で嫌いなひとって、いないんですか?」

子供たちは型どおりの回答のごまかしを見抜いているのに、指導部の先生は「屁理屈」として、その問い詰めをかわそうとする。

「みんな間違っている。けっ、けど、園部君は、いま、本気で言った。本気で言ったことは、本気で、きっききき聞かないと、だっ、だめなんだ。」

物語は何がいじめなのか、何が大切なのかの核心にこうして進んでいく。

映画では吃音の村内先生の登下校の話や教員たち、子供たちの親の話が枝付けされるけれども、原作は園部君の語りの中で進んでいく。

おとなから観た子供たちの世界と子供たちから観たおとなの世界、その違いのような気もする。

村内先生役の阿部寛の熱演と1961年生まれで東大出身の中西健二監督の初監督とは思えないような押さえたタッチの物語展開で、深く心に残る映画なのだけれど、おとなから観た子供たちの世界が勝っていたのじゃないだろうか?と、決定的に違うラストを読み終え、そう思う。

何がいじめなのか判らない子供たちと判った振りをしているおとなたち。その中におとなだけれども、言葉がうまく喋れない村内先生がいる事で見えてくる物がある。

事件の「反省文」の取り扱いについて、映画と原作はまるで違うのだけれども、僕は原作の方が好きだ。

何度でも言い直す、しゃべり直す機会が大切と思うから。

2009-03-13

流民の歌 Song of wandering person

いつだったか、今のヨーロッパの事情を伝える記事を読んだ。

社会主義の崩壊とともに暮らしを求める東欧の難民たちが西欧や北欧に押し寄せ、労働ピザを不法に入手し、それを地元産業が低賃金で雇えるからと雇い入れ、その国の底辺を支えてきた労働者の働き口も奪い取り、西欧の労働者はカナダへ労働移民として流れて行っている。

ベルギーのダルデンヌ兄弟の監督による新作『ロルナの祈り』はアルバニアからベルギーにやってきた女性の物語。偽りの結婚で麻薬中毒の「夫」と暮らし、ベルギー国籍を手に入れたものの、「夫」には云えない秘密があった。

偽りに満ちた生活は次第に彼女の感情さえも束縛し、偽りの人生を生きる事を強要していく。

社会の底辺に生きる人間たちは、ある者は麻薬から立ち直ろうとしても途切れぬ誘惑に惑わされ、ある者は不法入国の手引きで生き延びようとし、ある者は危険な核廃棄作業の仕事がある他の国に出稼ぎに行く。

互いが互いの骨の髄までしゃぶりつく姿はグローバル化する事により更なる低コストのワーキング・プアを生み出す社会の縮図であろう。

そんな中での「ロルナの祈り」とは、人間でいたいという叫びでもあるだろう。

少子高齢が進む日本は経団連が労働移民の受け入れを望んでいるようだけれども、国の方が未だに難色を示し、労働ピザの緩和策はとられていないと聞くけれども、労働の低コスト化、人員の減少により、不法なものも増えているらしい。

ダルデンヌ兄弟作品には珍しく音楽が多用され、ベートーヴェン生涯最後のピアノ・ソナタがラストのエンドロールに流れ続ける。今の世界に対して祈りを捧げるように。

2009-03-10

あるソフト A certain software

仕事で必要に迫られ、ヤフオクであるソフトウェアを購入した。

開封済みで、ユーザー登録がされていないもので、格安に入手でき、届いたソフトのマニュアルを読んでいると、はたしてこのソフトでユーザー登録が必要なのかという疑問がふと浮かび、インストールのみして、ユーザー登録なしにまた転売しても差し支えないかとふと悪い思いに駆られたりもする。

ソフトウェアはユーザー登録しなければ、その催促が起動のたびに出るらしいけど、ユーザー登録することでの利用側のメリットがバグ修正のバージョンアップのみのようで、そのためになぜ個人情報をソフトウェア企業に提供しなければならないのかもどうも納得できないし、有償サポートで製品版のバージョンアップ無償提供もオークションで買った方が安くんだりもする。

景気が厳しくなると、如何にコストを減らすか考えるのが、人の常でもあり、どの業界もこのような利用側の消費抑制で苦しい経営を迫られているのだろう。

購入したソフトウェアのユーザー登録をするか、しないか、その必然性をマニュアル片手に思案する。

2009-03-07

香港ノワール Honkon Film noir

ひどい雨風の中、今週の休日も役所と映画館巡りをした。

役所は年度末の福祉乗車券の更新だけど、これで何度も足を運ばなければならなかったお役所参拝はやっと終わり。

映画の方はまずは名画座・蠍座にいじめクラスに転任してきた吃音教師の映画『青い鳥』を観に行く。これは感想は長くなりそうなので、後ほど。

その後、ちょうど時間が間に合いそうだったので、ミニシアター・シアター・キノへ香港ノワールの『エグザイル/絆』を観に行ってきた。

久々の娯楽映画。幼なじみの5人組が世間のしがらみを逃れようとあがき、最後はそのしがらみと一騎打ちで殺し合う。

昨年のキネ旬のベスト10にノミネートされ、アメリカでリメイクもされるというこの作品、中身も知らずに観たくて観に行き、その面白さに確かにはまった。

金のために人を殺す奴と仲間のために人を殺す奴。この単純な構造を一枚のセピア色の幼なじみの5人組の写真だけで物語り、殺戮場面が繰り広げられる。

帰宅後、映画批評のサイトで監督のフィルモグラフィを調べてみると、香港の二枚目俳優、アンディ・ラウが肉襦袢を着て、マッチョな男性ストリッパーを演じた痛快アクション『マッスルモンク』を作ったジョニー・トゥだった。

マッスルモンク』でもそうだったけれど、『エグザイル/絆』でもそこに転がる空き缶が蹴り飛ばされ、宙を舞う、場面のイミテーションにCGが使われ、本筋を盛り立てる工夫があり、「かっこういい!」とうなってしまう。

映画批評のサイトでも書かれていたけれども、日本のジャパニーズ・マフィアもの(やくざ映画、Vシネマ)は男性客が多くて、海外のフィルム・ノワールは女性客が多いというのは、もしかするとこのイミテーション的な遊びのゆとりがあるかないか何じゃないだろうか。

そういや、アカデミー賞外国映画部門で受賞した『おくりびと』などもテーマ主義に陥らず、映画のシークエンスを楽しみながら作られていたっけ。

はかない時を楽しむ香港ノワールの人気はそんなところにあるのかも知れない。

2009-03-05

どんなに時が流れたあとも When time flows

香港の人気歌手で、映画俳優としても活躍しているジャッキー・チュン(張学友)の代表的なアルバム『餓狼伝説』の中の日本の歌のカバーである「来来回回」という曲が好きで、この頃また聞き返している。この歌のオリジナルを歌っている日本のグループの名前をアルバム入手時には調べ、覚えていたのだけれども、すっかり忘れてしまい、職場の仲間に聞いたところ、J-WALKというグループの「どんなに時が流れたあとも」が元歌と判った。

この曲、友達が結婚するときに新郎が歌っていた曲でもあり、ちょっと想い出のある曲でもある。

ネットでこの曲の歌詞を読んでみたけれども、友達はなんでこの歌を結婚式の曲として選んだのか、不思議。

たとえ どんなに時が流れたあとも
君を忘れない 俺はいつまでも

2009-03-04

ご飯食べたでしょう? Do you finish eating?

光の春を迎えたこの頃、食欲もわいてきて、飯時が待ち遠しいとお腹の虫が鳴いている。

食事を取っても何となく食べ足りない感じもする。

「お父さん、ご飯食べたでしょう?」と云われないよう気をつけなくちゃ。

2009-03-03

人の物は Person's thing

公共施設などのトイレで、この頃トイレットペーパーが盗まれ、注意を促す旨の張り紙をよく目にするのだけれど、先日、銭湯にてこんな光景に出くわした。

身体を洗い、洗面用具を所定の場所に起き、湯船につかっていると、30代くらいだろうか、所定の場所に置いた僕の洗面用具を手に持ち、中を見ている。よくある自分の物との勘違いなのかなと様子を見ていると、シャンプー、リンスを取り出し、本人のだろう用具入れにしまい込もうとしている。

中身も残り少ないこんなものまで盗む気でいるのかと、湯船から飛び出し、取り上げると、「すみません、すみません」の誤り言葉ばかり。

「人の物は自分の物」なのか、それにしても卑しい世の中になったと悲しくなった。

同じところで、うがい禁止の張り紙のある水飲み場でうがいをしている熟年男性が、同年配の男性に注意され、「すみません」と謝りつつも、注意した相手がいなくなると、「巡回でもあるまいし」とブツブツ喋る場面にも居合わせたせいか、30代の男の誤り言葉も白々しく聞こえてしまった。

安心安全な日本社会はいつのまにかなくなったのかも知れない。

2009-03-01

非力な大人たち Incompetent adults

インド・カルカッタの売春窟に生まれついた子どもたちを追ったドキュメンタリー映画『未来を写した子どもたち』、極悪犯罪の罪を償い、社会復帰しようとする若者を描いた『BOY A』。今や世界は経済発展の優劣に関係なく、どこの地でも子供たちは悩み苦しんでいる。

「非力な大人たちが子供たちの未来を奪う」と『未来を写した子どもたち』に出てくるフォトジャーナリスト、ザナ・ブリスキは語り、子供たちにインスタントカメラを与え、売春窟の写真を撮らせる。名前を変えて、社会復帰を目指す少年の限りない未来を信じ、『BOY A』のソーシャルワーカーは若者の相談役を務める。

しかし、どちらも非力な大人たちで営まれる社会によって、この善意は押し潰され、その非力さはあざ笑われる。『未来を写した子どもたち』の子供等はある者は大人たちに服従し、売春で生きることを選び、ある者は大人たちに逆らい、フォトジャーナリストの導きに従う。『BOY A』の若者もまた彼の過去を憎む大人たちにより、抹殺される。

ともに非力な大人たちの描き方が紋切り型であるにせよ、このような子供たちが世界中にいる事には変わりがない。

そして、『BOY A』のタイトルは少年犯罪が多発する日本の事件報道で使われる「少年A」に触発され、つけられたと書かれたコラムを読むにつけ、我が国も非力な大人たちにより抹殺される子供たちがいるのだと当たり前の事にダメージを与えられる。

殴られる事が当たり前になった子供、過ちで人格を決めつけられる少年、そして、非力な大人たちでこの世界は成り立っているのだと。