東京電力福島第一原子力発電所の事故から注目され始めた脱原発の話題。タイムリーにここ数年間、山口県の上関原発予定地の反対運動を追い続けてきたドキュメンタリー「ミツバチの羽音と地球の回転」を札幌でも上映しているというので観に行ってきた。
反原発のドキュメントはテレビ番組には優れた物が多いけど、劇場版になるとちょっとテーマが拡散していないかいという作品が多く、一抹の不安はあったけど。
タイトル「ミツバチの羽音と地球の回転」は監督のメッセージが映画が始まると同時に映し出されるけど、映画の中ではミツバチはどこにも出てこなく、肩すかしを食らう。
描かれているのは上関原発予定地の向かい側に位置する祝島で暮らし、ずっと反対運動を続けている人たち。その中の島の若手、山戸孝さんの暮らしを追い続ける。
彼の主張するのは明快な論理で、農業、漁業で暮らす俺たちを殺すな。
映画は祝島の様子の他に、スウェーデンのエコ・エネルギーの話を間に挟み、祝島の人たちも模索を始める。
けど、この二つの話、どう見ても無理矢理くっつけた感があり、違和感あるまま、後半の祝島の人たちの建設阻止の活動を映し出す。
「ミツバチの羽音と地球の回転」のイメージで、山口県祝島の人たちとスウェーデンのエコエネルギーの取り組みを結びつけました、という意図は判るけど、イメージがやはり拡散してしまう。
昨今よく云われる日本の遅れた社会性。映画の後半でいきなり出て来る青森県のクリーン・エネルギーの話も遅れた社会性の土壌の元、あまりにスウェーデンのエコ・エネルギーの話を観た後では空しく見えてしまい、空しい中に祝島の人たちの闘いの大変さが感じられる。
いい素材を提供してくれるグループ現代は根っこの「日本の後進性」をえぐり出さないから物足りないのかなと思ったり。
今も尚、建設阻止を続けている祝島の方達のニュースをチェックしつつ、物足りなかった映画を思い返す。
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