太平洋戦争末期、唯一本土決戦が行われた土地、沖縄は「ピクニックに来るように上陸した米軍」にどんどん南部地区に追い詰められていく日本軍に駆り出された看護学徒隊の悲劇はひめゆり部隊が有名である。
その看護学徒隊の中で犠牲者3名に留まったふじ学徒隊の体験者の証言を記録したドキュメント。
志願を募り、学徒になった少女たちは負傷兵の切り落とされた手足を処分したり、蛆のわいた包帯を取り替えさせられたりという過酷な看護に追われ、兵隊たちとともに南部に追いやられる。
軍は敗退する部隊に学徒隊の解散を命じ、それに従った部隊は学徒隊を米軍が取り囲む戦場に放り出し、多くの犠牲者を生み出したが、ふじ学徒隊の部隊は軍の命令に背き、激戦地、行動を共にし、これ以上抵抗出来ないというところで学徒隊に解散命令を出し、数人のグループを組ませて部隊を離れさせた。
少女たちは老い、あの頃を淡々と語り始め、解散命令を出した部隊長の青酸カリ自決を語る時、声を詰まらせる。
日本が戦場になり、死んでいった兵士と学徒隊。解散命令を出した部隊長が語った「死んではいけない」を心に刻み生き続けた老女たちの笑顔がまぶしかった。