90歳になる写真家・福島菊次郎さんの執念は何なのか。
「戦後日本は平和という言葉で人々の苦難を隠蔽した。」そのような思いを抱く福島さんは広島ピカドンの被爆者・中村杉松さんとの出逢いから始まる。
原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission、ABCC)の被爆した人にレントゲンを何度となく撮るなどの実態調査の日本人モルモット化などにより中村杉松さんより「敵を取ってくれ」と言われ、撮り始めた福島さんはその後、自衛隊、三里塚闘争、安保、東大安田講堂、水俣、ウーマンリブ、祝島と人々の苦難を撮り溜めていく。
昭和天皇が戦争責任のことについて質問された時、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と返答した時の福島さんの怒りは「戦争責任展」の全国開催という活動になった。
そして、今、ヒロシマからフクシマヘ。写真家になるきっかけとなった被爆者・中村杉松さんの墓の前、福島さんは涙を流す。
問題自体が法が犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわない。
平和で隠蔽したニッポンの嘘が今、便利さで原発被曝を隠蔽しようとしている。
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