敗戦間近に作られ、戦後、映画人の戦争責任を問うのに格好の題材となったオムニバス映画『必勝歌』を観た。
情報局が国民歌の宣伝のため製作公開された作品とかで、溝口健二、清水宏、田坂具隆、マキノ正博など当時の日本映画界の巨匠たちが勢揃いで、作られた国策映画。
そして、「国のために死ぬ」美徳を説く俳優人たちは戦後トップスターとして銀幕を華やかせた面々。
当時の勇ましい出征や戦闘場面のニュースをはさみ、映画は銃後の庶民たちの暮らしを描く。
雪で立ち往生した汽車を動かすために村人みんなで除雪する光景。
隣組の組長が道端に作られた防空壕のフタが丈夫に作られているかチェックし飛び乗るとあっけなく壊れてしまった話。
出征の見送りの帰り、一杯引っかけたのであろう酔って電車に乗る二人組に席を譲ってあげる男の話。
召集令状がきた青年との結婚を決意した娘が、戦傷者になっても添い遂げると語り、誉め讃えられる話、
赤十字船を攻撃する敵機に怒り、復讐を誓う一家団欒。
激しい空襲に逃げまどう赤子を抱えた母親に被さる「被害は最小」のラジオニュース。
大人たちも激しい空襲の中、国のために頑張っているのだからと「御山の杉の子」を遊戯する疎開した子供達。
特攻隊で命を落とした遺族と、軍人との宴会で、「1機あまさず敵艦にぶち当たることです」と述べる軍隊長に「国のために死ね。靖国で逢おう」と歌い出す遺族たち。
戦時中、庶民に戦争責任はなかったかを問うた伊丹十三のお父さんで、映画作家だった伊丹万作の著作「戦争責任者の問題」
日本の戦争は愛国心という共産思想がアジアを救う「八紘一宇」となり、突き進んだものであり、満州での日本軍の功績を追い続けた「満映」に自ら進んで入社した内田吐夢は「(自作を評し)個人が国家や家庭の中で、誠実に生きようとする意志であろう。(略)したがって家族制度の上部構造である国家がその一員としての誠実さを、国策に収斂してしまうのは、自然な成り行きだろう」と語っている。
ファシズムのような仮想の敵ユダヤ人排斥から起こったものと日本の戦争の本質は根本的に違っている。
共同体に対する過度の期待が、「死ぬ愛国心」を作り上げたという。それは戦後、高度経済成長の号令で企業戦士となり、「エコノミック・アニマル、通勤電車は奴隷船」と外国マスコミから冷やかされても、変わる事はなかった。
人は我が身を守るため、物を避ける。
けれども、戦時下、庶民たちは「捕虜になるのは生き恥」として、出征する我が子に「勝って帰ってこい。そうでなければ国のために死ね」と云い、送り出した。
我が身を守るため、物を避ける事が許されなかった日本兵たち。
集団的狂気が必勝歌を歌わせたのだろう。
半年後の夏、昭和天皇が「耐えがたきを耐え」と宣うかどうか争われた「日本の一番長い日」ですら、「総玉砕」という死霊に取り憑かれた「愛国者」がいた。
映画『必勝歌』は特攻隊の出撃で幕を閉じ、戦後、この映画を撮った映画人の懺悔が始まった。
パブリックドメインの範疇でもあり、映画をネット公開して貰いたいもの。
- OhmyNews : 【映画】映画人の戦争責任問う『必勝歌』
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