2009-01-11

幼なじみ Childhood friend

職場の従事員たちで作る親睦会の総会を控え、準備に追われるこの頃、その議案書を印刷するため、事務所のコピー機を使わせて貰った時、所長にずっと気になっていた幼なじみの行方を聴いた。

先日、ここでも書いた中学の時の同級生が会うといつも話題にするその人は、僕と同じ職場で事務職をしていたらしく、目出度く職場結婚したというところまでは聴いているのだけれども、今の行方が判らなく、同級生と会うたびに「どこにいるんだろうね」と話題になっていた。

そして、現役で同じ職場だった頃はその事も知らずにお互い働いていたため、顔を合わす事もなく、結局、小中学校以来会わず仕舞いの仲だったので、なおの事、今の行方が気に掛かっていた。

別に再会したいというのでもないから、所長にその後旦那さんの行方を聴いたところで、意味ないのだけれど、そんな「無意味な話」が生活の潤滑油にもなるような気がして、ちょうど聴く時間が出来たので、聴いてみた。

所長の方も聴かれた事が嬉しかったのか、調べてみると云ってくれた。

ああだこうだ思い巡らすよりも動く事であっさり事が進む事もある。

若い頃の想い出が歳を取り、思わぬ恩恵になりもして、「想い出」を与えてくれた時代を有り難くも思う。

今、社会はコスト削減で、ワーキングプアの若い人たちに「実務」ばかりを押し付け、生活の安定を与えようとしない時代。

そんな潤滑油になるような「想い出」を作るか、作らないかは若い人たちの勝手だけれど、「実務」に追われ、「想い出」も作れない社会の中で、我が身可愛いだけの浮かれている人間にはなりたくないし、そんな我が身可愛いだったなら、絶対しっぺ返しを喰らうのが落ちとも思う。

職場環境が厳しくなる時、幼なじみの話は互いに生きる職場作りのきっかけになりはしないだろうか。それともこの厳しさはもう誰にも止められなく、我が身可愛いと開き直るしかないのだろうか。

ただ云えるのは時代という濁流の中に「想い出」を大切にしたいと生きている人がいるという事だけ。

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