休日の一日、まずは税務署に行き、昨年の申告分の青色申告の記載ミスを修正申告すべきか聴きに行った。結果、納税額に変化が生じないものだけど、今年の申告で昨年分からの繰越金で調査が入らないように、持っていった青色申告の訂正版を提出するのみで、事が済み、一安心した。
難なく終わったその足で、映画『禅 ZEN』を観に行く。
うちの宗派が曹洞宗でもあり、作った映画監督が高橋伴明という好きな映画監督なので、どんな風に曹洞宗の開祖、道元和尚を描いているか、観たかった。
映画館は宗派の檀家と思われる年配の方々が列を成していたいたけれども、商業化された今日の宗教の中に暮らす檀家はどんな気持ちで映画を観ているんだろうと、映画上映中、そんな事を思いながらの鑑賞となった。
日本の大衆が宗教心を持てるように、念仏を唱えるだけで、極楽浄土に行けると説く他力本願の宗派が権力を持ち始めた頃、「死んで仏にあってなんになる。生きて仏に会うが道」と説く道元和尚は、煩悩にまみれた自分と座して向き合う時、仏と会える」と説いた。
「眼横鼻直」眼は横にあり、鼻は縦にあるという当たり前の事を見過ごす事が煩悩であり、あるがままの自分を知れば、そこに仏が見えてくるという教えは、如何に「死」を受け入れるかに通じていく。
道元の生き様と平行して描かれる遊女おりんの改心の姿は、綺麗事で済まされがちのこの手の話の中で、「醜き事を知ってこその悟り」と若い頃、ピンク映画を撮り続けた高橋伴明は言いたげに描いている。
修羅地獄を乗り越えた時こそ座禅は意味を成す。あるがままを知るとはそういう事なのだろう。
『禅 ZEN』を観終えた後、今日しか観られるチャンスがなかったので、映画『リダクテッド 真実の価値』を観に行く。
イラクへの軍事介入したアメリカ軍が何をやったのか。大手マスコミがリダクト(編集)したある事件の前後をドキュメントまがいに描いたこの作品は、断片化されたニュースの裏を見せつける。
緊迫した検問所に配置された数名の兵士は、緊迫した状況下の中、如何に気を紛らわせるかに頭を働かせ、狂気との直面を回避する。しかし、それはまた弱者への迫害でもあった。
映像の魔術師、ブライアン・デ・パルマはその事件を再現する手法として、ハンディタイプのビデオカメラやイラクのテレビ局の映像、インターネットの動画サイトなどを使い、戦争の狂気を見せつける。
自分と向き合えば、狂気にはまる極限社会、自己逃避に向かう米兵たちは更なる地獄を作っていく。
人は極限にならなければ、地獄の恐怖に気がつかない生き物らしい。映画のはしごで日も暮れ、夕闇の中、観た映画を思い返せる自分は仏を捜している。
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