2009-04-25

いのちの戦場 アルジェリア1959 L'ennemi Intime

シェルブールの雨傘』のバックグランドとなったアルジェリア戦争はフランス国内では1999年10月の法改正による「フランスの植民地支配を肯定する法律とその第4条第2項の廃止について(PDF-国立国会図書館資料)」まで「戦争」ではなく、「内紛」と認識されていたという。

「アメリカがベトナムを描いたように、フランスもアルジェリアを描かねばならない」と映画『いのちの戦場 アルジェリア1959』を企画立案、主演したブノワ・マジメルが語るように、この映画はフランス人が植民地支配で何をやったのかが赤裸々に描かれている。

「戦争」ではなく、「内紛」とする事により、過酷な拷問を行い、国際法上使用を禁じられナパーム弾でゲリラを大地もろとも焼き払う事を正当化するこの戦いは、フランスのいう「テロとの戦い」でもあった。

テロリストたちの側から描かれたレジスタンス映画『アルジェの戦い』でその「戦い」はすでに描き尽くされているけれども、支配者側の欺瞞を描いたものは50年の月日を必要とした。

理想主義のテリアン中尉(ブノワ・マジメル)は赴任直後、分別くさくこの紛争を分析し、長くこの戦地に赴任し続けているドニャック軍曹の残虐な拷問を倫理的に批判する。

しかし、いのちの戦場であるこの地では、殺されるか、殺すかの選択肢しかないという当たり前の理屈にテリアン中尉の理想主義は合理主義に変貌していく。

あまりにまじめすぎるがために、現実社会と理想とのギャップが判らない指揮官は現実に殺されていく。

映画では、第二次大戦の時、ドイツ・ゲシュタポと共に戦ったフランス人とアルジェリア人が、敵味方にならねばならない状況も描かれ、ファシズム打倒で正当化されていた植民地政策が民族独立の気運とともにその非情ぶりを示し始めた事も描かれており、それは冷戦終結後の「9.11」にも結びつくであろう。

自分の国が一時は同胞としていた他民族に何をやったのか、こうして描く事の出来るのは凄いと思うし、それはけして自虐などではなく、多民族化しようとしている「国家」のあり方を知ろうとする試みのように思う。

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