2009-04-24

オーマイニュース閉鎖 Close OhMyNews

市民メディアを売り物に韓国でその地位を確立させたオーマイニュースの日本版が本日閉鎖と聴く。

僕も2006年末から2008年半ばまで市民記者として、ここのブログ記事を原稿を投稿したりしていたけれど、日本に市民メディアは育たないと噂された通りのあっけない幕切れになってしまった。

掲載記事へのリンク外しをここ一週間かけておこない、投稿した記事に目を通してみたけれど、掲載記事と投稿記事の文章の改変はやはり未だに違和感を感じ、掲載記事への愛着は全くなかった。

オーマイニュース閉鎖に伴うネットの書き込みをざぁっと読むと、大手マスコミと何も変わらなかったとかいう批判が目につくけれども、オープン当時の鳥越さんのコマーシャル的な煽りの発言からそれに乗っかり、掲載記事の内容をろくに読みもしないで、思いこみのコメントをつける登録ユーザーだとか、サイトに導入された記事に対する評価システムなど、つぶし合いを助長する日本的な遊び感覚のシステムを全面に出したがために、逆にそれが編集スタッフのプレッシャとなり、世間受けする内容重視の紙面作りになっていったような気がする。

双方向性で情報の質を高めていくという課題が、掲載記事と投稿記事のギャップという問題があるのに、記名された記者ばかりにコメント批判が集中するという悪循環を生んだがために、身の回りのニュースを伝えようとする意欲ある記者も数百円の原稿料のために忙殺されるのを嫌うだろうし、コメント批判する人たちもだんだん飽きてくる。そんな状況がオーマイニュースが市民メディアになり得なかった一因があるんじゃないだろうか。

市民記者の「市民」を重んじるのか、「記者」を重んじるのか、三大新聞ではとっくにクリアされているこの命題に向き合わなかったから、ネットの市民メディアの一角は崩れたのだろう。

そして、今、僕はローカルの昔ながらの市民メディアの一角に居場所を持つようになり、数年間活動してきたネットの市民メディアから一時、身をひこうと思っている。

人と人がどう繋がり、それを自分の糧にどう消化し、人にどう伝えるかという活動はやはり互いの顔が見えなければ無理なのだろう。それは互いの顔が見えないという前提で安易な批判はしないというネットのルールが確立されていない状況下、致し方ないのかも知れない。

人と人がどう繋がり、それを自分の糧にどう消化し、人にどう伝えるか。オーマイニュースから学んだものは大きかった。

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