観るたびに必ずなく映画『シェルブールの雨傘』とその監督ジャック・ドゥミが作った僕自身未見の作品『ロシュフォールの恋人たち』がデジタル・リマスターされ、再上映という事で、二週に渡り、観に行った。
未見の『ロシュフォールの恋人たち』をまず観て、体調良ければ、『シェルブールの雨傘』もと思っていたけど、風邪気味だったのもあり、結局、『シェルブールの雨傘』は今日観に行った。
『ロシュフォールの恋人たち』はカトリーヌ・ドヌーブがお姉さんと共演した映画としての知識くらいしかなく、見始めて、ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリスというアメリカの新旧ミュージカルスターが出ているのを知り、嬉しくなってくる。ジャック・ドゥミのアメリカン・ミュージカルへのラブレターなのだろうなぁとも思うけど、後半の恋のさや当てが延々と続くあたりから、疲れてきてしまった。
90分に凝縮された『シェルブールの雨傘』に比べると2時間強の『ロシュフォールの恋人たち』はきつい。
そんなわけで今日再開と相成った『シェルブールの雨傘』。開演時間に間に合わなく、オープニングの雨傘が行き交う場面は観られなかったけど、お馴染みのストーリーはデジタル・リマスターの鮮やかさ同様色あせることなく、ラストの再会シーンではお約束の涙に座席に埋もれてしまった。
雨で始まり、雪で終わる『シェルブールの雨傘』1957年から1963年までの物語の背景にはアルジェリア戦争があった。フランス市民の生活を描いた映画の中で、アルジェリア戦争が語られたのは、この作品とゴダールの『小さな兵隊』だけだと云う。映画の中で、戦争を批判する言葉は語られないけれども、出征する兵士の悲恋が描かれたこの映画。二人の間に出来た女の子が僕と同じ歳でもあり、僕の出生も似たような父と母の悲恋があったと聴くからなおのこと、この物語に親近感を感じるのかも知れないけれど。
彼女に棄てられた帰還兵に共感するのは男だからなのだろうかと、この映画を観るたびに思うのはなんでだろう?
マストロヤンニが妊夫になった『モンパリ』、ドノヴァンのメルヘン物語『ハメルンの笛吹き』などなど今では観る事も叶わないジャック・ドゥミの映画が復刻されるきっかけになることを願いたくなってきた。
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