今日、入院後初めてシャワーを使わせてもらいました。
看護婦さんは手を差し伸べる事もなく、ただシャワー室の場所を教えてくれるだけだったけど、シャワー上がりにおそらく待っていてくれたんだろう、廊下で偶然出くわしたかのように、「さっぱりしましたか?」と聴き、僕の着替えた寝間着を片づけはじめ、部屋に戻る僕にはお構いなしだった。
構い過ぎず、見放し過ぎずのこの距離感は、精神カウンセリングとして知られる「ピア・カウンセリング」なんだろうなぁと思いました。
悩む人の気持ちに入り込む事なく、その人の今の状態をさらけ出させて、気持ちを裸にさせた上で、自分がしてあげなければならないことを手伝い、本人がしなければならないことを気がつかせる。
人を活かす事って、「ピア・カウンセリング」が大切なんだと思う。
言葉の嘘はばれにくいけど、リアクションの嘘はすぐにばれるでしょう?
判りあえる仲間とは「ピア・カウンセリング」出来る仲間なんじゃないかな。 「ピア・カウンセリング」は相手の心を裸にし、泣かせた分だけ、聞き役も泣くと聴きます。
そんな仲間づくりが出来れば悔いはないと思うのだけど、百八つの鐘が、…。
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