体調を崩し始めた時に、読み始めた重松清の「小さき者へ」をやっと読み終えた。
読み始めの頃は、読んでいても感情移入出来ずにおり、入院してからも精神的に参っていたのか、読む気にもなれなかったけど、ここ最近になって、例の重松節が心に響くようになってきた。
年老いた母とわが子たちの心の行き違いに気を持む「海まで」、両親の離婚をどう受け止めればいいのか、判らない小学四年の男の子と女の子の「フィッチのイッチ」、いじめ、逆ギレ、そして家庭内暴力へと引きこもる息子に渡すことも出来ない手紙をパソコンにつづる父を描いた「小さき者へ」、応援団崩れの父に、刃向かいながらも、父の背中が好きな女の子の「団旗はためくもとに」、脱サラ、フランチャイズ失敗の中年男の踏ん切り話「青あざのトナカイ」、少年野球の仲間だった子供たちがそれぞれつまづき、逃げ場を見失っている時、野球のコーチをしていた男が甲子園に高校野球の開会式を見に行こうと持ちかける「三月行進曲」。
どれも悩みを抱える者たちに紋切り型でこうすればいいさと返せないお話たちはそれ故、重松清らしい作品たちだった。
「団旗はためくもとに」のお父さんをかばうお母さんは言う。 「応援するって事は『がんばれ、がんばれ』って言うことだけじゃないの。『ここにオレたちがいるぞ。お前はひとりぼっちじゃないぞ』って教えてあげることなの」
「押忍」とはけして引き下がらずに忍ぶことだという。
忍ぶほどに相手を思い、されど引き下がらない。
解決ないままに終わる六つのお話はそれ故に「押忍」のような気がする。
中島みゆきの「ファイト!」を福山雅治がカバーしていると聞き、聴きたくなって、YOUTUBEで探しだし、聴く。
闘うきみの歌を闘わない奴らが笑うだろう。
小さき者へ、小さき者より。
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