陸前高田松原
間断なく流れてくる東日本大地震のニュースを観ていると、資本主義なんか人間の作り上げた妄想で、自然は今も尚、原始共産主義で成り立っていると思えてくる。
みんな一緒に生きていて、大災害でみんな一緒に死んでいく。そんな事も判らないで、みんな一緒にじゃ嫌だから、資本の優劣を競い合う。競い合ったって、大きな津波が金持ちも貧乏人も善人も悪人も押し流してしまう。
10年ほど前、ネットで知り合った陸前高田に住む方から陸前高田の風光明媚な観光地、高田松原のサイトを作りたいとお話し頂き、それから数年間、お手伝いした事がある。
高田松原に日に何度も足を運び、デジカメで写しては、札幌に住む僕にメールでその画像を送ってきては、サイトにアップする。そんな仕事を頂き、僕のパソコンの中にはいつしか訪れた事のない高田松原の画像が山ほどある状態になっていた。
今は壊滅状態とある陸前高田で、その方の安否を気にしながらも、東北に親戚がいる方から「電話もメールもおそらく駄目だよ」といわれ、高田松原の画像集を見返すしか手だてがない。
そして、間断なく流れてくる東日本大地震のニュースを観ていると、避難生活の現場からの撮影で、スクープ映像を撮らそうと、スタジオのキャスターが小火の立ち上る現場に行けないのかとか、救助ヘリに助け出され、搬送される人たちの様子を映す事が出来ないかとか、常識はずれの言葉が飛び交う報道番組がおぞましく思えてくる。
政府も政府で、原発爆破事故が起こり、更なる被曝被害が出ようかという時に、枝野幸男官房長官が不安をかき消すためかも知れないけど、被曝数値は小さく、安全というような発言をされていたけど、それなら福島原発の前で記者会見やってくれと思ってしまう。
職場ではニュースを観ていて、「どさくさ紛れにアメリカ空母が来る」という声や何でも映せばいいと思っているマスコミが自衛隊基地の壊滅的な被害を映しているのに対し、「中国に攻められる」という声も飛び出し、何でもオープンな日本の国情を思い知らされた。
月曜から始まる計画停電も24時間不安を煽るようなテレビ・メディアの放送時間の制限をすれば、何も生活停電させなくても良かろうにとも思うけど。
被害状況が刻一刻深刻化していく最中、義捐金の募集は地震と同時に始まり、早くねぇと思うけど、片や日本株は復興景気に期待高だとか。
みんな一緒に奈落の底とならぬよう、当面の物資不足の物価上昇に備えなきゃ。
生きる事ほど苦難の道とはいつか来た道とも思うけど。
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