「OhmyNews : 「死」は刑ではなく、「死の恐怖」が刑である 」、かなり前に書いた記事が載りまして、「正義」を信じる方が反論されている。
戦前ドイツの話を映画監督フリッツ・ラングを通して、語ってみた方がいいのかなと思ったり。
昨年から今年に掛けて、戦前ドイツを代表する映画監督フリッツ・ラングのドイツ時代の作品が、紀伊国屋書店による丁寧な復刻作業でDVD化され、映画ファンの間で話題になっている。
第一次世界大戦での敗北、アメリカから始まった金融恐慌など先行き見えない閉塞感に包まれたドイツでナチスの前身である「ドイツ労働者の平和に関する自由委員会」(Freier Ausschuss fu"r einen deutschen Arbeiterfrieden) がドイツのブレーメンで結成されたのが、1918年初頭。同じ頃にユダヤ人を母に持つフリッツ・ラングも当時持て囃された「表現主義」という形式で映画制作に取り組み始めていた。
1921年の『死滅の谷』(DER MUDE TOD)は人を死なせるのに疲れ果てた死に神の物語を通し、その後、終生のテーマとなる「逆らう事の出来ない宿命に負けるのを覚悟で闘う人間たち」を描き切った。
続く1922年の『ドクトル・マブゼ 』は二部構成四時間にも及ぶ犯罪を題材にしたサイレント映画だが、ラング自身、映画の中でマブゼ博士に「愛などではありません。欲望があるだけです!幸福などはありません。権力への意志があるだけです。」と語らせ、博打を遊技として見せ、非人間的な人間を描きあげる事で、1922年という時代を映しあげたと云われている。
そして、1924年に当時の奥方で、後にナチズムに傾倒していくテア・フォン・ハルボウと脚本を書き上げたゲルマン神話、ニーベルンゲン伝説を映画化した『ニーベルンゲン 』を作り上げ、数メートルの巨竜を実物大で作り、映画創成期の代表的モンスターとして見せたこの作品は意気消沈していたドイツ国民のナショナリズムを刺激する作品になったと云われる。
続いて作られた1926年の『メトロポリス 』はニューヨークの摩天楼が出来る以前に描かれた高層ビルが建ち並ぶ未来都市、優雅に暮らす資本家と地下室で作業を強いられる労働者の対立の物語で、労働者の団結を阻むために作られた人造人間が狂い始め、工場の打ち壊しを煽動するというショッキングなもので、後に手塚治虫が敬意を込めて、アニメ化した事でも有名な映画でもある。
そんな輝かしい活躍を果たしたラングも時代の不穏さを感じ取り、それまで映画を撮り続けていた大手映画会社ウーファと決別し、作ったのがサスペンス映画の名作『M 』で、当時、世間を騒がせたペーター・キュルテンの連続殺人事件をモデルに、殺人犯の断罪を描くのではなく、殺人犯を追い求め、監視社会に向かう怖さを描きあげた。
殺人犯を追い詰め、「人殺し」の頭文字「M」を背中にチョーク書きする市民の姿のその背景には台頭するナチズムに対し、治安を託す世相が出来上がり、それに対し、物言えぬ環境が出来上がった時代でもあり、その後、戦争へ突入する際に、ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者、さらにはこれらをかくまった者を強制連行、強制就労させるホロコーストが行える環境が出来上がっていった時でもあった。
フリッツ・ラングはヒトラー政権が成立した翌1934年にフランスへ亡命し、アメリカに渡り、「自由は闘って勝ち取るものだ」のセリフで知られる『死刑執行人もまた死す 』(1943年)などの反ナチ映画や商業映画を撮り続ける。
戦前ドイツの急激なナショナリズムを警告し続けたフリッツ・ラングの映画はもっと知られるべきなのかも知れない。
YouTube - "M" Fritz Lang movie trailer
パブリック・ドメインとして、『M』は観られるみたい 。