2007-10-31

正しさは軽蔑だけしかいだけない only contempt for other

中島みゆき嬢の新譜『I Love You 答えてくれ』

歌を聴いているとネット論争をご覧になっているのかと思ってしまう。
「負けるが勝ち」を教えられて育った身にはごもっともと云うしかない。

「その正しさは気分がいいか
正しさの勝利が気分いいんじゃないのか」

「(正しさは)軽蔑だけしかいだけない」

「Nobody is Right」より

「言葉なんて迫力がない 言葉なんて、なんて弱いんだろう」

「ボディ・トーク」より

「愛さずにいられない馬鹿もいる
受け取ったと答えて欲しいだけさ」

「I Love You 答えてくれ」より

YouTube - 中島みゆき「I Love You,答えてくれ」

2007-10-30

フリッツ・ラング Fritz Lang

OhmyNews : 「死」は刑ではなく、「死の恐怖」が刑である」、かなり前に書いた記事が載りまして、「正義」を信じる方が反論されている。

戦前ドイツの話を映画監督フリッツ・ラングを通して、語ってみた方がいいのかなと思ったり。


昨年から今年に掛けて、戦前ドイツを代表する映画監督フリッツ・ラングのドイツ時代の作品が、紀伊国屋書店による丁寧な復刻作業でDVD化され、映画ファンの間で話題になっている。

第一次世界大戦での敗北、アメリカから始まった金融恐慌など先行き見えない閉塞感に包まれたドイツでナチスの前身である「ドイツ労働者の平和に関する自由委員会」(Freier Ausschuss fu"r einen deutschen Arbeiterfrieden) がドイツのブレーメンで結成されたのが、1918年初頭。同じ頃にユダヤ人を母に持つフリッツ・ラングも当時持て囃された「表現主義」という形式で映画制作に取り組み始めていた。

1921年の『死滅の谷』(DER MUDE TOD)は人を死なせるのに疲れ果てた死に神の物語を通し、その後、終生のテーマとなる「逆らう事の出来ない宿命に負けるのを覚悟で闘う人間たち」を描き切った。

続く1922年の『ドクトル・マブゼ』は二部構成四時間にも及ぶ犯罪を題材にしたサイレント映画だが、ラング自身、映画の中でマブゼ博士に「愛などではありません。欲望があるだけです!幸福などはありません。権力への意志があるだけです。」と語らせ、博打を遊技として見せ、非人間的な人間を描きあげる事で、1922年という時代を映しあげたと云われている。

そして、1924年に当時の奥方で、後にナチズムに傾倒していくテア・フォン・ハルボウと脚本を書き上げたゲルマン神話、ニーベルンゲン伝説を映画化した『ニーベルンゲン』を作り上げ、数メートルの巨竜を実物大で作り、映画創成期の代表的モンスターとして見せたこの作品は意気消沈していたドイツ国民のナショナリズムを刺激する作品になったと云われる。

続いて作られた1926年の『メトロポリス』はニューヨークの摩天楼が出来る以前に描かれた高層ビルが建ち並ぶ未来都市、優雅に暮らす資本家と地下室で作業を強いられる労働者の対立の物語で、労働者の団結を阻むために作られた人造人間が狂い始め、工場の打ち壊しを煽動するというショッキングなもので、後に手塚治虫が敬意を込めて、アニメ化した事でも有名な映画でもある。

そんな輝かしい活躍を果たしたラングも時代の不穏さを感じ取り、それまで映画を撮り続けていた大手映画会社ウーファと決別し、作ったのがサスペンス映画の名作『』で、当時、世間を騒がせたペーター・キュルテンの連続殺人事件をモデルに、殺人犯の断罪を描くのではなく、殺人犯を追い求め、監視社会に向かう怖さを描きあげた。

殺人犯を追い詰め、「人殺し」の頭文字「M」を背中にチョーク書きする市民の姿のその背景には台頭するナチズムに対し、治安を託す世相が出来上がり、それに対し、物言えぬ環境が出来上がった時代でもあり、その後、戦争へ突入する際に、ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者、さらにはこれらをかくまった者を強制連行、強制就労させるホロコーストが行える環境が出来上がっていった時でもあった。

フリッツ・ラングはヒトラー政権が成立した翌1934年にフランスへ亡命し、アメリカに渡り、「自由は闘って勝ち取るものだ」のセリフで知られる『死刑執行人もまた死す』(1943年)などの反ナチ映画や商業映画を撮り続ける。

戦前ドイツの急激なナショナリズムを警告し続けたフリッツ・ラングの映画はもっと知られるべきなのかも知れない。

YouTube - "M" Fritz Lang movie trailer

パブリック・ドメインとして、『M』は観られるみたい

2007-10-29

「色即是空」の「色」とは何か What is "Color" of "The color is nothing"?

「色即是空」の「色」とは何か。
権威の鎧をまとうお話とか。
おろかですね。人間は。

  • OhmyNews : 「色即是空」の「色」とは何か

2007-10-28

あらえっさっさ araessasa

騙し、騙され、化かし、化かされ。
そこにおもろきを知る事が"ひとのよ"なのだろう。

見抜けぬ愚かさ、侮るおごり。
あらえっさっさ

YouTube - Music 岡林信康 『 あらえっさっさ 』

埋め込み禁止のため、直リンク

2007-10-27

ゆっくり休んで、社会のためになる知恵を wisdom that benefits the society

先日、全国の有給休暇取得率が過去最低という厚労省の調べが公表され、北海道はその中でも最下位という結果が地方紙に書かれていた。

その理由として、「他の人には出来ない」「他の人に任せられない」「他の人に迷惑がかかる」というものが並ぶそうで、これじゃ、一生死ねないねと、日本人の不可思議な社会意識を苦笑してしまった。

自分が死んだ後の準備、例えば、子供達に不自由掛けないための支度などが男性は女性に比べ、自分が死んだ後のイメージを作れないらしく、その準備すら出来ていないのがほとんどとも云われているそうで、女性、特に専業主婦などはドライに自分が死んだ後を見据え、支度できるのに対し、男性は何から手をつけていいのかすら検討つかないらしい。

それほどまでに自分の社会に対する意識は強いようで、契約関係から成り立つと云われているアメリカ社会などでも、日本人はドライに振る舞う事が苦手のようでもある。

ネット検索をすると「有給休暇、理由」なる検索候補が出る事もあり、「休む罪悪感」が根強くあるのかなとも思ってしまう。

この夏、親戚と友人が亡くなり、いろいろ話を聴くと死後の備えが如何に大事か思い知らされる。

友人は親戚関係の複雑さのために家の墓の管理がほとんど付き合いのない従兄に任されており、友人の父はその頃、まだ健全だった従兄の父、友人の父にすれば弟にあたる人に頼み、先祖代々の墓に入れたそうなのだけど、代替わりになり、突然の友人の死にも納骨でのトラブルが起こり、結局、死後、奥さんが新たに墓を買われたそうで、四十九日をだいぶ過ぎてからの納骨となったとか。

親戚はまだ40歳の若さで、癌の転移でひと月あまりの入院の後の死で、まだ幼い子供達は仏間に置かれた遺骨を前に、「お父さん、何か言っているよ」と家族の者に告げるという。

「未練残さずに、成仏してくれ!」故人の父である叔父は亡くなった息子にそう語り、手を合わすと聴く。

社会の役目を過剰に背負い、背負わす日本の風土はだからこそ、「お化け」信仰、「ポックリ」信仰が生まれたのかも知れない。

「ゆっくり休んで、社会のためになる知恵を」

そんなゆとりも夢なのだろうか?

  • OhmyNews : ゆっくり休んで、社会のためになる知恵を

2007-10-26

僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る There is no road in front of me. The road can be done behind me.

協栄ジムでの亀田興毅の会見、ちらっとテレビ中継を観たけど、パフォーマンスを要求したのはマスメディアだろうが。詫びるべきはマスメディアなんじゃないかい?

表題は高村光太郎の「道程」

人間は生き物であり、機械じゃない。ルール=歴史を如何に応用し、無限の可能性を作り出すか、それが大切なんじゃないかと。

これから日本は年寄りばかりの社会になっていき、未体験の問題が多発するでしょう。その時、ルール=歴史を如何に応用出来るのかが問われるのだと思う。

年寄りは自分の歩んできた道=ルールに確執するから、柔軟なルールを持たなければ、死闘になる。

自分の歩んできた道=ルールがわずかな経験でしかない事が判るチャンスは少子、高齢、格差でますますなくなってくる。

「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」

謙虚さが大切なのかなと。

2007-10-25

秋晴れ Fine autumn day

紅葉と空

ここ数日、札幌は気持ちの良い秋晴れ。
先週から遊びに来ていた叔母も秋晴れのうちにと思ったのか、今日、帰っていった。

暖かな日だまりだったせいか、雪虫が家の前に大量に飛び交っている。

降った雪が溶けなくなる根雪の時期が近いのだろうか?

2007-10-24

ぼくの村は美しい国 My village is a beautiful country.

殺伐とした事件を告げるニュースが続く昨今、今年になり、ライブやラジオ出演、過去のレコードの紙ジャケCDでの復刻など活発な活動を続けている"フォークの神様"岡林信康の近刊『ぼくの村は美しい国 竜太の日記』を読んだ。

いまに食うものがなくなる日がくる。
その時、泣きながら、この絵本を読もう。

背帯でビートたけしがこんな推薦文を書くこの本は「アーティストによる絵本シリーズ」の一巻としてランダムハウス講談社から発売された物で、ある程度の年代以上なら子供の頃に大人からよく聴かされた「お百姓さんの暮らし」を子供の視点から書かれた物。

岡林さん自身、今で云う格差のシンボルである大阪の山谷とも呼ばれるあいりん地区に転がり込み、そこで見聞きした"地獄極楽"の世界を歌った「山谷ブルース」でフォーク歌手として注目をあび、売れっ子歌手として、忙殺される日々を過ごすうち、自分のメッセージがいつの間にか全然違うメッセージとして世の中に受け入れられてしまっている現実が嫌で失踪し、北陸の山村に引きこもった経験がある方。

そこでの子育て経験をおそらくは絵本にした『ぼくの村は美しい国 竜太の日記』はツバメとともに春が来て、夏、秋、冬を過ごし、またツバメの来る春で終わる”人間の幸福(ひとよのさいわい)”

いわれのない"差別"と対峙する人たちに向け、語りかけるよう歌った「友よ」はいつの間にか労働組合の団結歌として歌われるようになり、それが嫌でたまらなかった岡林さんはその後、試行錯誤を続け、イギリスでキング・クリムゾンのロバート・フィリップに「いいかげんに俺達の真似はやめたらどうだ。日本のロックを聞かせてみろよ」と侮蔑的に浴びせられた一言から日本各地のリズムを駆使したエンヤトットミュージックに辿り着き、今日に至っている。

殺伐とした事件が続く今日、食糧自給率が低下し続けもしている日本社会、”人間の幸福(ひとよのさいわい)”を思い返すこの絵本、”ひとよのさいわい”とは、幸田露伴が明治31年に20世紀の子供たちのために書いた「文明の庫」から引用したとも書かれており、21世紀の子供たちのために残せる社会を岡林さんは模索されているのだろう。

数年前のライブでは「日本各地には独自のリズムが伝わっています」と和楽器と弾き語りギターをジョイントさせ、韓国のサムルノリ、ブラジルのバトゥカーダと交わる事で、更に土着性が色濃くなると、実演の”人間の幸福(ひとよのさいわい)”を聴かせてくれた岡林さんのライブも来月、売却決まり、存続運動がなされている札幌の厚生年金会館でまた逢える。

いまに食うものがなくなる日がくる。
その時、泣きながら、この絵本を読もう。

ビートたけしの推薦文の通りになる前に。

2007-10-23

御歌囃子 Okabayashi

岡林信康ネタ。

エンヤトットでカモ・レッツ・ゴー

来月の札幌でのコンサートが成功するといいけれど。

YouTube - Nobuyasu Okabayashi - エンヤトット

2007-10-22

手紙 Letter

友達の家に遊びに行き、岡林信康の「手紙」が話題になっているらしい事を聞いた。

YouTube - 岡林信康 手紙 1969

私の好きな みつるさんが
おじいさんから お店をもらい
二人いっしょに 暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私といっしょに なるのだったら
お店をゆずらないと 言われたの
お店をゆずらないと 言われたの

私は彼の 幸せのため
身を引こうと 思ってます
二人はいっしょに なれないのなら
死のうとまで 彼は言った
だからすべて 彼にあげたこと
くやんではいない 別れても
くやんではいない 別れても

だけどお父さん お母さん
私は二度と 恋はしない
部落に生まれた そのことの
どこが悪い どこがちがう
暗い手紙に なりました
だけど私は 書きたかった
だけど私は 書きたかった

2007-10-21

楽しまなくちゃ意味ないね It is not significant if it doesn't enjoy it.

最近、うちでも家族の高齢化で、トイレの電気の消し忘れなどすこし気になっており、省エネも兼ねて、センサーライトを取り付けてみた。

かなり前に廊下の灯りとして、人が近づくと灯りがともるセンサーライトをつけてた事もあり、その便利さは承知していたけど、今は更に周辺が暗くなり、人が近づくと作動する仕様になったようで、昼間、明るい時はライトは灯らない便利設計になっているらしく、使ってみる事にした。

取り付けたのは電源がない廊下に、まずは電池で作動する簡易なセンサーライトをつけてみたけれど、明るさに反応する感度が高すぎるのか、昼でもライトが灯ってしまう。

今回、取り付けようと思うきっかけとなったトイレのライトは電球を取り替える感覚で取り付けられ、簡易型よりは細かく周辺の明るさに対する反応を設定できるものをつけてみた。

最近特に薄暗さを嫌がる母に合わせ、暗くなったら作動するモードではなく、薄暗くなったら作動するモードに設定してみたけれど、そこは機械、夕方の暗さと明け方の暗さの違いを認識するわけもなく、どちらもライトが灯るみたい。

まぁ、これでライトの消し忘れなどでも自然に消えるようになったので、まずは省エネ、高齢化対策になったのかなと思っている。

これを書きながら、黒人のリズム感が「ドレミ」しか持たない白人の常識を覆すオープニングから始まる映画『ヒットパレード』を流し観しているのだけど、アイデアはどのように活用するかが命。

有名な名ゼリフ「楽しまなくちゃ意味ないね」もこの映画じゃなかったかしら?

「楽しまなくちゃ意味ないね」

便利さを得て、更に便利さを求め、楽しむゆとりを忘れれば、それは不便という事を忘れぬようアイデアグッズを活用し、生活の豊かさを求めたい物。

「もっと灯りを」

それは自分の工夫にあるのだろうから。

2007-10-20

罪と罰 Crime and punishment

オーマイニュースで亀井静香氏の「死刑廃止論」

ぶら下がりコメントを書こうかとも思ったけど、保留扱いの記事を書き直して、投稿してみた。


罪を犯した時、どこまで裁けるのかは古今東西の問題であり、「死」は「生きる苦しみ」からの救いとする宗教観からすれば、「死」は「刑」にはならない。

「死の恐怖」を味合わせるのが「死刑」であり、「死刑執行」は「死の恐怖」を味合わせるために犯した罪を認めさせてから行われるという。

そうでなければ、国家が殺人を犯す理屈になるからである。

また「自殺」は犯した罪を認めた事にならないため、禁じられており、あくまで「死の恐怖」を味合わせる事こそが「死刑」の「死刑」たる由縁。

死刑囚が処刑される際、牧師、お坊さんに看取られ、死刑執行人の手が下され、屍は丁重に葬られる。

死刑囚の死により、犯した罪の真相はそこで問われることなく、同じような犯罪が起こっても社会的問題は推論される事なく、死刑囚の死が繰り返され、防犯の理念に欠けるという見方もある。

犯罪を個人に帰結させるのが「死刑」でありだろう。

「あの世」なるものを信じる宗教観を持つ者たちは「あの世」に罪人を送る事を嫌うし、「輪廻転生」の仏教では「無限地獄」を恐れる。

罪人をどう許すかは、生きた者に科せられた枷であり、「死の恐怖」を味合わすのが「刑」ならば、病で死に際の苦しみもがくのも「刑」になってしまう。

「死」を刑罰のひとつとして捉える事は「死」にたくないと思う人たちにとっての「刑罰」であり、「死」にたい人にとっては「刑罰」になりえないという話もある。

「刑務所民営化」で囚人はお客扱いされるようになったと云われる今、「罰」のあり方が問われているのだろうし、ゴミ箱代わりの「死」は「死」の冒涜として問われているのだろう。

誰もが迎える「死」を「刑」にしちゃ、あまりに生きる者の身勝手のような気もするし。

  • OhmyNews : 「死」は刑ではなく、「死の恐怖」が刑である

2007-10-19

誰もがいるうちに There is everyone, too.

友達のブログで、参加している団体の人が「誰かがいなくても動ける体制を作ろう」という言葉を云われ、寂しい想いをしたという日記を読んだ。

昨日、2年連続日本シリーズ進出を決めたファイターズをふと思い起こす。

ヒルマン監督は「野球はエンターテインメント。われわれが楽しまなくては、ファンを楽しませることができない」と語ったという。

「誰もがいるうちに」でファイターズの2年連続日本シリーズ進出はあるのじゃないかな?

「誰かがいなくても」を先に考えてしまうマイナー指向は今の日本の社会の脆弱さにも繋がるように思う。

「誰もがいるうちに」だから、人はがんばれる。

今年も札幌の街が紙吹雪舞うファイターズのパレードを見られる事を願いたい。

2007-10-18

夜へ急ぐ人 Person who hurries up to night

なんかバタバタ。

友川かずきの曲「夜へ急ぐ人」を歌うちあきなおみ。
コロッケのちあきなおみのものまねもここから生まれたのでしょう。

「おいで、おいでをする人、あんた誰?」

YouTube - Chiaki Naomi "Yoru-e Isogu Hito (Oide Oide)"

2007-10-17

生きているって言ってみろ Say ..alive.. .....

ニュースつければ、暴行列島オンパレード。
思考停止の時のBGM、友川かずき「生きているって言ってみろ」

YouTube - tomokawa kazuki ikiterutteittemiro

寝返りマスコミ、ありがたや

TBSが亀田ドキュメンタリー番組を中止

『生きてるって言ってみろ』

作詞・作曲:友川かずき 編曲:J・A・シーザー

ビッショリ汚れた手拭いを
腰に結わえてトボトボと
死人でもあるまいによ

自分の家の前で立ち止まり
覚悟を決めてドアを押す
地獄でもあるまいによ

生きてるって言ってみろ!
生きてるって言ってみろ!
生きてるって言ってみろ!

淋しさ優しさ苦しさは
この世のせつないメロドラマ
屠殺場でもあるまいに

ヒッピーフーテン乞食の子
なげきの喜びいじくって
廃人でもあるまいに

生きてるって言ってみろ!
生きてるって言ってみろ!
生きてるって言ってみろ!

夢と現実ぶらさげて
涙と孤独を相棒に
コケシでもあるまいに
長髪マンネリいさぎ良さ
根っこの太さはどこへやら
墓石でもあるまいに

生きてるって言ってみろ!
生きてるって言ってみろ!
生きてるって言ってみろ!

2007-10-16

桜桃の味 Ta'm e guilass

「身近な人を傷つけるより、自殺した方がいい」と自殺幇助の相手を捜す男を描いた1997年のロードムービーを再び見た。

自殺が許される事のない大罪であるイランでは自殺も自殺幇助も考えてはいけない話。

休暇を貰ったクルド人の兵士、採掘作業をするアフガン人、自殺幇助の相手捜しは自ずと社会的に弱い立場の者に向かう。

延々と続く紅いイランの大地を死にたい男の旅は続く。

「止めしないが、桜桃の味を忘れたか」

男にトルコ人の老人が語る説教は「生きていればいい事がある」などという戯れ言。

その戯れ言を信じる事が生きる事。

この作品の前、イラン北部の子供達を描いた『ホームワーク』『友だちのうちはどこ?』を撮り、その舞台になった地が激震に襲われた事を聴き、『友だちのうちはどこ?』の主役の子の安否を調べる『そして人生はつづく』を撮ったアッバス・キアロスタミ監督はドキュメントともドラマともつかない空間をここでも作り上げ、「死ぬ意味」を問う事で「生きる意味」を問う。

『クローズ・アップ』で罪を裁く裁判を通し、裁くだけでは罪は消えず、如何に許すかが大切とも説いたアッバス・キアロスタミ監督は不寛容になっていく社会もまた、自然の中にあると描く。

大地は穴を掘り、横たわる男の永遠なる安眠はいつ得られるのか。

「桜桃の味を忘れたか」
「あの美しい夕焼けを、もう一度見たくはないのか」

生きる事を忘れたお化け社会は世紀をまたいだ今、更なる不寛容に向かっているように思う。

YouTube - ah neyleyim gonul - kirazin tadi

2007-10-15

冬じたく Wanting doing of winter

この週末は一気に寒くなったので、週明け、穏やかな天気の中、ホーマックに行き、省エネグッズを見て回った。

年老いた母が寒がるのと、この冬の灯油高に備え、何か手軽な冷気よけがあればと思い、見に行き、「窓際あったかボード」なるものを見つけた。

ただ、窓に折り曲げて置くだけの簡単なもので、ボードはポリエチレン製でしっかりしていたので、買ってきて、まずは自分の部屋の窓際に置いてみた。

さらに長年使っている窓一面被えるビニールを窓枠の上の方に画鋲で貼り付け、垂らし、「窓際あったかボード」と一緒に使おうと思う。

これで外の冷気をいくらかでもさえぎれるかなというところ。

暑いくらいの秋が続いたので、冬じたくもまだ早いかなという気もするけれど、朝晩と昼の温度差は日増しに大きくなってくる。

後は着ぶくれの冬を迎えるばかり。

2007-10-14

紅い花 Bright red flower

「ちあきなおみ 異常人気のなぜ?」というネットニュースを読み、ちあきなおみの歌を聴きたくなった。

旦那が亡くなり、訳も告げずに唄わなくなった歌姫。

無くなっていく物の寂しさを聴いて貰える人がいなければ、歌は戯れ言でしかない。

「ちあきなおみ 異常人気」にまだまだ日本の良さを愛おしむ人がいるのだろうなぁと思う。

「紅い花、想いを込めて捧げた恋歌」

最後の録音といわれる「紅い花」

訳を求める時代、捧げる恋歌を忘れたくない。

YouTube - AKAI HANA / Naomi Chiaki
  • OhmyNews : 紅い花

2007-10-13

雪虫 Yukimushi

この季節になると、若い頃に友達と小樽の「海猫」に聴きに行った佐々木好の「雪虫」を思い出す。

そして、今年は自腹斬り、石原都知事に説教たれて亡くなった黒川紀章さんを重ね、思う。

お尻の白い プワプワした 雪虫は
着物にあたると すぐ死ぬ
10月8日は 雪虫の 姿見せ
着物にあたると すぐ死ぬ

早起き得意が自慢ときて 8時には
帰っているのか 雪虫
死にに来たような虫なので 出来るだけ
外へ出ないで下さい

どけて通って下さいね 手でよける
事はやめて下さい
冬を呼び 冬を教える 雪虫は
いつ来て いつ帰る 雪虫

2007-10-12

それでも雪は降る Still, it snows.

ゴア氏にノーベル平和賞授与が決まったそうで、イギリスの裁判所が下した映画『不都合な真実』に9つの科学的誤りもこれでうやむやになるのかな?

人間中心主義で語られる科学的根拠に乏しいという判決も、ゴア氏の二酸化炭素主犯説も如何に経済の主導権を握るかで、自然の摂理が科学的根拠で語れる事などわずか数パーセントに過ぎない「不都合な真実」をメディアは語ろうとしない。

北海道米が温暖化のお陰で品質アップし、米の名産地が頭を抱えている真実が何を意味しているのか。

確実に異変が進む自然環境の中、人間は明日の仕事に奔走される。

今の二世政治家でわが子に残す生活環境を考えている人っているのかしら。

今年はラニーニャ現象のせいなのか、稚内で平年より9日早い初雪とか。

うちもストーブを使い始め、いよいよ本格的な冬支度。

明日の朝は家の前も白くなっているのだろうか?

政治的判断の科学的根拠より、自然の教えの方がはるかに正直なのにね。

  • OhmyNews : それでも雪は降る

2007-10-11

オレンジ色の街路灯 Orange street light

ネットの友人から札幌の街路灯は何故、オレンジ色なんですか?と聴かれ、「トンネル内のナトリウムランプに似ており、霧が出やすいならば、その対策なのかも」とご指摘あった。

雪の降る街だからじゃないですか?と勝手な判断で答えたのだが、気に掛かり、ネットで調べてみると、降雪時の視認性も良く、虫も寄せにくく、低温性能にも優れており、省エネにもなるそうで、欧米でも主流になっているのがオレンジ色の光を放つナトリウムランプなのだそうだ。

札幌は雪国という環境のせいか、このような細かな点で配慮がなされ、例えば点字ブロックの丸い突起の頭を平たくする事で、雪が積もっても滑る事がないようにとか、信号機なども電灯箇所に屋根をつけたり、横に電灯を配列する型よりも縦に配列する物を増やし、積雪面積を少なくするなど、自然環境に備えた知恵が至る所にあるそうである。

特定の人のための配慮ではなく、生活環境から工夫できる事を考え出す知恵が省エネに繋がるのかも知れない。

GPSなど個別に霧対策が出来る時代になったからと、釧路の燈台の霧笛が近いうちにお役御免の廃止になるというニュースを観るにつけ、ますます公共の役割が削減される中、「街」の役割、「街」の優しさが失われつつある今、オレンジ色の街路灯のありがたみを感じる。

各自、防犯用具と懐中電灯を持ち歩くなんていう時代は嫌だなぁとも思ったりする。

  • OhmyNews : オレンジ色の街路灯に思う

2007-10-10

著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名 Petition calling for no extension of the term of copyright protection

著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名

著作権フリーになった書籍を電子図書化している「青空文庫」もこんな署名をやっているのですね。

著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名

ミッキーマウスしか売る物がないディズニーから始まったという保護延長騒動。

インターネットの共有ユートピアを守るためにも声を上げたいです。

#遺族ってなんで不労所得を当てにするのだろう?

2007-10-09

冷え込み Getting cold

ここんところ、めっきり冷え込むようになってきた。

新聞を見るとこの冬も灯油高とかで、昨年の暖冬の時のように灯油がだぶついても、価格を下げたりせずに、蓄えた灯油を海外に輸出し、損失を出さない仕組みが用意され、灯油高のまま、推移するとか。

結びに「新たな残酷物語はお断り」と書かれてあったけど、20世紀初頭のジャガイモ飢饉のアイルライドのような移民の悲劇にならなければいいのだが。

来年の温暖化対策サミットの地、資源難の冬が来る。

  • OhmyNews : 冷え込む街

2007-10-08

くもとちゅうりっぷ Spider and tulip

戦時中のアニメ

黒色の蜘蛛が悪役で、白色のテントウムシをいじめるのは、白人擁護で同盟国の南洋諸国が嫌悪するのじゃないかという監督官庁の懸念から文部省の推薦を得ることが出来なかったという話はなかなか面白かった。(くもとちゅうりっぷ - Wikipedia)

YouTube - Japanese Classic Cartoon(1943)

2007-10-07

標準語励行の唄 Song of standard dialect enforcing

沖縄に伝わる唄、作者不詳のようです
大工哲弘さんののアルバム『蓮菜行』で聴けます。

南の島に時代の潮、古い習慣さらりと棄てて
君も私もこの街もねみんな楽しい標準語

強い身体に、きれいな言葉、きれいな言葉は正しき人よ
いけ睦まじく、沖縄は、みんな愉快に標準語

御代は昭和だ、興亜の風だ、ぼくらは明るい日本の子供
今日もニコニコ朗らかに、言葉はつらつ標準語

2007-10-06

高校時代 High school days

こないだ久々に逢った中学校の時の同級生が、劇団四季のメンバーでお前と同じ高校の奴がいると教えられ、卒業アルバムを引っ張り出す。

ネットで顔写真を検索し、年齢非公表とされるそいつの顔を見比べると面影あるような顔があった。

文系のクラスのそいつ、名前も何となく聞き覚えもあり、付き合い合ったかな?と高校時代を思い返したりもする。

うちらの高校は札幌の街の人口増加で郊外に住宅地が出来始め、それに合わせて開校された新設校で、栄えある一期生だったので、校舎は未完成で、他の高校の横にその高校が火事で全焼した際に使ったプレハブ校舎に間借り暮らし。

平屋の建物だったり、隣の高校の生徒たちとガン飛ばし合ったりしたりと、一学年しかいない学校は変な連帯感があったりもした。

担任教師が学校近くのポルノ映画館に入るのを生徒に目撃され、つるし上げに合うなんていうのもあったりし、学校側も生徒の圧力に屈したのか、クラス担任からその先生を外す処置がとられるなんて事もあったのだけれど、その後、高校の後輩からその先生が教え子と結婚したと聴いた時は「人生いろいろ」なんて思ったりもした。

思春期という性の目覚めもある高校時代、多感なその時期を遙か昔の事と思い返し、今の高校生たちは多感な年頃、どんな人間のぶつかり合いを体験しているのだろうとも思ったりする。

年長組という押さえ付けがなかった高校時代、そんな経験も「私」という人間形成にとって、有益だったのかもと思ったりする。

  • OhmyNews : 先輩の押さえ付けがなかった高校時代

2007-10-05

札幌市無防備地域宣言の署名活動 Signature activity of Sapporo City undefended localities declaration

ネットの知り合いから札幌市の無防備地域宣言の署名の協力を頼まれ、事務局に連絡取り、署名活動されている区役所に出向いてみた。

区役所前で署名を集められている方に声を掛け、署名用紙に署名した後、知り合いに声を掛けましょうかと申し出ると、嬉しそうに関係書類の入った封筒を下さった。

話をお聞きすると単に署名を集めるだけではなく、各区別の署名用紙を用意しなければならないようで、お手伝いするにも同一区だけの署名集めは隣近所に限られ、いろんな区に住む友人や職場の人に署名を貰う事は署名用紙の数ばかり増えてしまうので、困難。

なかなか署名活動もやりにくい状況になっているのだなぁと改めて思った。

署名される内容にもよるのだろうけど、無防備地域宣言の署名活動されているサイトのブログなど読むとかなり試行錯誤もされているよう。

他県より応援も来ており、盛り上げようとされているけど、どうも出遅れ気味らしい。

無防備地域宣言をめざす札幌市民の会blog

残すところ後一週間、なんとか既定の数が集まる事を願いつつ、市民運動が今、どのような枷に悩んでいるのか、気にも掛かる。

平日は区役所前、土、日、祝日はスーパー、図書館、駅前などで署名活動を行っているらしいから、札幌にお住まいの方は気に掛けてみて欲しい。

2007-10-04

『尼僧』はア行? Is 'Nun' A line?

いつも通っているレンタルビデオ屋。

数ヶ月前の二階から一階へのビデオテープ大移動、一階から二階へのコミック大移動に続き、ばらばらになったビデオテープの並び順を五十音順に並べ替える作業を行ったようで、まぁ捜しやすくなった。

しかし、ア行を見ていくと『尼僧物語』『尼僧の恋』がア行にある。

『あまそう』じゃないって。(笑)

ネット時代になり、画像依存が強まり、漢字を読めない文盲率が増えてきたと聴くけれども、アルバイトのお兄ちゃん、しっかりしてくれよ。

まぁ、これだけ次々と仕事言いつける職場の苦労は判るけど。

  • OhmyNews : 「尼僧」はア行じゃないだろう……

2007-10-03

歴史観のない社会 Society where historical view doesn't exist

たかだか60数年前の沖縄戦の集団自決が日本軍の強制があったどうかの話に慎重姿勢になる国の弱腰にただただあきれます。

森達也『放送禁止歌』ドキュメンタリー

この番組など見ると、面倒な外圧を避けたい事なかれ主義が『放送禁止歌』の背景であり、言論弾圧ではなく、言論自粛が『放送禁止歌』を生み出したと言う事が判るのだけれども、教科書検定も特定の団体から圧力を恐れてか、それとも特定の団体のお抱え学者が封印役を務めただけだろう。

そして、その根底には利害関係にうごめく国政が日本の歴史認識を示さなかった戦後史があり、また、1960年代に世界的に巻き起こった文化再発見のフォークブームが日本では文化再発見に飛び火しない四畳半フォークブームになってしまった「歴史の喪失」と合い重なり、歴史観のない社会を作り出したのだろう。

強制のない集団自決こそ、国家の喪失という恥なのに、国家の恥より日本軍の恥を重んじるこの国のフィクサー(黒幕)たちは芯から亡国の輩たちでもあるだろう。

誠実な人柄が買われ、戦意高揚の名作映画『五人の斥候兵』『土と兵隊』『海軍』を撮り、ヒロシマ被爆で、「被爆した者の気持ちはわからない」と一貫して口を閉ざした田坂具隆の戦争映画は、男たちが子宮の中の精子のように、目的達成のためだけに生きていたし、手塚治虫の「ジャングル大帝」の元となったといわれる南方戦線での平和祈願を描いたアニメ『海の神兵』は東南アジアにおける母国語を棄てさせ、日本語教育がなされた様が描かれている。

日本が何をしたか、その当時の映画、音楽、文学を見聞きすれば判る事なのに、あえて、それを封印する言論自粛が「中立公正な判断必要」を疎外しているのだろう。

桃太郎 海の神兵 1945

2007-10-02

無法松が泣いている Muhomatsu cries.

以前紹介した阪東妻三郎の『無法松の一生』、ネットで今回の復刻状況を調べてみると、単なるフィルムコピーで、デジタル修正されていないようです。

安い価格じゃないのに、こんな安易な復刻をされるとますます過去の我が国の文化が顧みられなくなるし、昔の名画のデジタル修正盛んな海外の物笑いの種にもなりかねない。

名画揃いのヘラルド映画の復刻もろくにしようとしないし、角川映画、いい加減に汚名返上願えるような仕事をして欲しいものです。

この評判を知り、今回の購入見送り、テレビ放映などされたら、録画するつもり。

それに比べ、今晩のNHK-BS2でのDVD発売前の『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』放映は偉い!

映画メディアも放映録画の時代になったのかな?

ニュース速報のテロップが流れなければいいんだけれど。

2007-10-01

明日がある人は幸せだよ The person who has tomorrow is happy.

高村薫の小説『李歐』の中国人、李歐のセリフ。

同じ22歳の日本の大学生、一彰と中国人の殺し屋、李歐がふとした事から出逢い、互いの運命を左右する15年の物語。

僕は長崎俊一がテレビドラマした物をケーブルテレビで見たのだけれど、追われている李歐が一彰につぶやくセリフ。

気楽にアルバイトをこなし生きる一彰は動乱の地、中国からやってきて、東南アジアに逃げ延びようとする李歐の生き様に男のロマンを抱く。

李歐よ、君は大陸の覇者になれ、ぼくは君の夢を見るから

どう生きたいかはどう逝きたいかにつながる。

オーマイニュース「余命を生きるということ」へのコメントを頂き、このセリフを思い出す。

YouTube - 李歐 (2001, Japan)