2009-06-04

エイジ age

重松清の「エイジ」を読み終えた。

中学生の事件が多発し、「中学生」にマスコミが群がり、「キレる」という言葉が流行った1990年代末に、「中学生」と一括りに括られる「中学生」たちの物語を描いたこの作品は、クラスメートがある日、「通り魔」として捕まる事により、それぞれが揺れ動く物語。

シンボライズする事であたかも物事のすべてが語れたかのような錯覚は、おそらくオウムのサリン事件あたりから「ブーム」となり、「キレる中学生」、「改革なくして成長なし」の小泉劇場、「9.11」から始まるテロ対策、イラク人質に対する自己責任論、凶悪犯罪死刑論と続くのだろう。

ここで描かれた「中学生」たちは時間軸から考えれば、今は20代半ば。「エイジ」の世界を頭に入れて、その20代半ばの人々を「キレた中学生」と呼ぶにはあまりに短絡であるだろう。

短絡なイメージが好かれるのは「人ごと」だけど、「怖い」であればいいのだろう。

一括りにされる側がどう生きているかなんかはどうでもいい事で、「うざい」のに、「中学生」が「うざい」を口にすれば「怖い」に変わるというとても重宝な「ブーム」を21世紀の人間たちは手に入れたのかも知れない。

「日本の出生率が少し上昇した。」と報じるメディアは夫婦二人で二人産めば、横ばいである出生率なのに、1.37人平均の出生率で「上昇した」と「人ごと」楽観論に誘い込むようなもので、「社会」すら「人ごと」のように聞こえてしまい、恐ろしい。

社会を思う保守右翼は理念だけで動く左翼より、世情に厳しいと何かの本で知ったけれども、今という「世代」は己の保身だけで動く保守右翼が増えているのだろう。

10年前に書かれた小説は舞台を今としても何の違和感もなく、あれほど騒いだマスコミは、今も「恐ろしい社会」とただ語るだけ。

「日本の出生率が少し上昇した。」も団塊世代がいなくなった時には、日本人のみの出生率ではなく、労働移民も含めた日本国籍者の出生率になるのじゃないだろうか。

その時がシンボライズの怖さなのかも知れない。

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