文庫本のあとがきで重松清は「哨兵は悲しい」として、「異常なし」の一日のために彼の一日が浪費される哨兵の悲しさを書き、「異常あり」だったとしても「異常あり」を告げるだけしか出来ない彼の存在を書く。ただ、彼は「異常」の有無を見張るだけの存在で、彼の目に映る「異常」も社会にとって「異常なし」ならば、「異常あり」にはなり得ない。物書きとはそんな無力な存在であり、「異常なし」とされる「異常」を書き綴る存在アピールしか持ち得ないのではとそんなふうを書く。
重松清の最初の短編集「見張り塔からずっと」に描かれる3編の話はそんな「異常なし」とされる「異常」の話。
バブル崩壊とともに発展の望みを絶たれ、憂鬱なムードの漂うニュータウンに暮らす一家、そのご近所に、自分たちより格安でマイホームを手に入れた家族が越してきた。奥さんの些細なひと言が噂話となり、値下がり続けるマイホームの夢が絶たれたニュータウンの住人たちはその家族をスケープゴートし始める。「カラス」はその鳴き声が「クレェ」と聞こえると語られるカラスをシンボリティックにした小市民社会の物語。
一歳になったばかりの男の子を突然失った夫婦の隣室に、亡くした子と同じ頃に生まれた今年5歳になる男の子のいる家族が越してきた。名前も亡くなった子と同じ男の子は狭いマンションの廊下でサッカーボールでひとり遊び、夫婦の部屋の壁にボールを叩きつける。子供を亡くした時から精神状態が不安定だった妻を支え続けている夫もやがてバランスを崩していく。「扉を開けて」は恐怖小説、ホラー小説として書き下ろされたものらしい。
18歳で出来ちゃった結婚をした女の子は自分の未熟さから来る嫌悪感から逃れるために、自分を物語の主人公に見立てて、傍観し続け、声援を送る女の子。祝福されない結婚生活で、頼みの夫は母独り子独りのマザコン気味で、田舎に暮らす母を呼び寄せ、一緒に暮らす事ばかり夢見ている。母もまた、我が子可愛さで、未熟な女の子が気に入らない。そんな母がガンで吐血し、入院する。その母の記憶の中には嫁である女の子の存在は無くなっていた。「陽だまりの猫」はその女の子の語り口で物語られていく。
「異常なし」とされる「異常」な物語は、孤独に堪え、堪えきれなくなる人々の物語。親身になる事も出来ないし、見殺しにもしたくない。そんな社会なのだと見るしか術のないお話群はその後の重松清の物語の原点に位置するのだろう。
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