2009-06-05

我が至上の愛 アストレとセラドン Les Amours d'Astree et de Celadon

何も観たいものがないなぁと劇場の上映作品一覧をチェックしていて、今週終映の作品「我が至上の愛 アストレとセラドン」がエリック・ロメールの作品である事を知り、見逃してはいけないと劇場に向かった。

「六つの教訓話」シリーズ、「喜劇と格言劇」シリーズ、「四季の物語」シリーズと現代を舞台にし、誰もが経験あるような物語をさらりと描き出していたエリック・ロメールが曰く「この映画の後、現役を引退するつもりだ」と語ったという「我が至上の愛 アストレとセラドン」は17世紀にオノレ・デュルフェよって書かれた『アストレ』が原作で、この物語は大河ロマン小説の原点とも言われているらしい。

5世紀のガリア地方。現代のフランス中央部ロワール地方を舞台としつつも、映画は都市化開発のため、のどかな田園風景が失われてしまったがために、田園風景が残る別地方で撮られた事を最初に断り、始まる。

些細な誤解から、恋人セラドンの不実を責め、「私の前にもう二度と現れないで欲しい」と拒絶するアストレに対し、その言葉に死までも思い詰めるセラドンは死に損ねてもなお、アストレの許しの時が来るまで、アストレを慕いつつも、人里離れた森で暮らす。

「愛」とは何なのか、身をひくのが「愛」なのか、身の潔白を説得するのが「愛」なのか、エリック・ロメールは、5世紀ののどかな世界の中で、「愛」とは何なのかをユーモアとエロティシズムたっぷりに描いてみせる。

セラドンのアストレに対するひたむきさ、アストレのセラドンに対する詫びの気持ち。それはかつてエリック・ロメールが描き続けた現代のアストレとセラドンたちの原点だなぁと、映画を観、ほくそ笑む。

人は疑り深い生き物であり、疑る事で取り返しのつかない過ちを犯し、残酷な言葉を浴びせかけもする。その修復は一見滑稽なように見えるけれども、修復こそが人間のなせる技。

人間を信じるか、信じないかは、自分が誠実か、いい加減かであるだろうし、映画の中、肉欲しか信じない狂言役が演じるように、「愛」とは何なのかをエリック・ロメールは語っていた。

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